ノート:谷川俊太郎
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﹁成績が良かったが進学しなかった﹂云々は客観的に現在証明のしようがない。現在、詩人として業績を上げている人なので現実に成し遂げた業績だけ記せば十分と考えこの部分を削除。逆に記述することは御本人や他の大学に進学しなかった人々を辱めることになると考える。2007年5月8日 (火) 22:44 (UTC)
国語や英語の成績が良かったのかどうかはわかりませんが、御本人も大学に進学しなかったことが転換点であるととらえているようですし、進学しなかったことをむしろ書くべきだと思います。
●日本近代文学館 編﹃日本近代文学大事典﹄ 第2巻 (人名 こーな)、講談社、1977年、356-357頁。
●﹃現代詩大事典﹄三省堂、2008年、435-438頁。ISBN 978-4-385-15398-8。
のような事典でこの方の項を見ると、どちらもこの件に触れています。同じ人がこの項目を書いたのか、と思うほど2冊の事典の記述は似ているのですが、それは御本人が書いた年譜に由来するものでした。谷川俊太郎﹃日本の詩集17谷川俊太郎詩集﹄角川書店、1972年、253-254頁。に掲載された年譜の昭和25年の項に、成績が下がり定時制に移って何とか卒業はしたものの、﹁大学進学の意志は全くなくなっていた﹂とあります。この年譜が自筆だ、とは書かれていませんが、自筆だと断ってある谷川俊太郎﹃朝のかたち﹄角川書店︿角川文庫﹀、1985年、346-353頁。の年譜もこの項は︵漢字の使い方が違う程度で︶同じ記述ですから、事典の記述は御本人自筆年譜に由来しているのだと思います。﹁インタヴュー 息子俊太郎を語る 谷川徹三﹂﹃現代詩手帖﹄第18巻第11号、1975年、103-111頁。に載った父谷川徹三に対するインタビューによると、息子が大学には行かないと言い出したので、息子の詩を自宅によく来ていた三好達治に見せたことが文學界掲載につながったのだといいます︵106ページ︶。この流れを見る限り、大学進学を勧める父に反抗して進学しなかったことが詩人になるきっかけ、としか言いようがありません。同じ﹃現代詩手帖﹄で御本人が自筆年譜掲載を断っている理由はよくわかりませんが、大学に進学しなかったことを書いても問題はなく、むしろ書くべきことだと思います。--西村崇︵会話︶ 2024年4月17日 (水) 00:00 (UTC)