ハイマン・シュタインタール
ヘルマン・ハイマン・シュタインタール︵Hermann Heymann Steinthal, 1823年5月16日 - 1899年3月14日︶は、ドイツの言語学者。プロイセン王国ザクセン州︵現ザクセン・アンハルト州︶グレープツィヒ生まれ。
シュタインタールは、フンボルトを継いで1850年からベルリン大学の教職に就き、言語哲学的な研究を行なった。心理学的な方法を言語研究に導入し、諸言語を構造的タイプによって分類した。これは、ヴィルヘルム・ヴント、義弟のモーリツ・ラーツァルスと共に﹁民族心理学﹂を創始したといわれ、社会心理学の先駆となった。この学問によって主張される﹁民族魂﹂は、ヘルマン・コーエンによって﹁得体の知れないもの﹂として批判された。
シュタインタールは、ドイツ・ユダヤ人内部では、ヘルマン・コーエン、アーブラハム・ガイガー、イスラエル・レーヴィ、ダーヴィト・カッセルと共にユダヤ教学の確立に加わり、1869年のユダヤ教学高等学院[1]の創設に参加した。
ベルリンにて没。