ペトリカメラ
表示
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d2/Petri7_M4579.jpg/300px-Petri7_M4579.jpg)
ペトリカメラ︵Petri Camera Co. ︶とは、かつて存在した日本のカメラメーカーである。
社名は、輸出を考慮して新約聖書の﹁聖ペトロ﹂から命名された。
会社概要[編集]
1907年︵明治40年︶に﹁栗林製作所﹂として創業。1917年に﹁栗林写真機械製作所﹂に名称変更し、写真機の製造を開始した。日本では小西六写真工業︵現コニカミノルタ︶に次ぎ写真機メーカーとして参入しスプリングカメラや二眼レフカメラを製造、皆川商店がそのブランド﹁ファースト﹂で販売していた。戦後は皆川商店と決別した[1]。1959年10月にペトリペンタで一眼レフカメラに参入、1962年7月にペトリカメラに商号変更した[2]。 1960年代には﹁ニコンのカメラと機能は一緒で価格は半値﹂という安価な製品を主力に据えたが、カメラが高価な道楽品という時代でもあり、かえって﹁安かろう悪かろう﹂というイメージが定着してしまった。この時期の製品はペトリV6に代表される独創的で斬新なデザインやメカニズム、そして破格の安さで知られる。前述の悪いイメージなどの結果他社との競合に負け、さらに末期は労働争議によるサボタージュ等によって生産ラインも遅滞し、1977年10月︵昭和52年︶に倒産した[3]。その後労働組合︵総評全国金属︶が﹁ペトリ工業株式会社﹂として存続させ、最終モデルとなるペトリMF10を送り出すものの旧態依然のスクリューマウントで電子化が遅れたカメラには全く競争力はなく、1980年代末のオートフォーカスカメラブームの中でカメラからは撤退した。 なお、会社自体は現存しており、ペトリ工業に社名変更した上で埼玉県北葛飾郡杉戸町で、大手メーカー向けの双眼鏡のOEM生産を手掛けている[4]。脚注[編集]
(一)^ ﹃クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み﹄p.112。
(二)^ ﹃クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み﹄p.67。
(三)^ ﹃クラシックカメラ専科No.9、35mm一眼レフカメラ﹄p.104。
(四)^ 会員名簿|工業会情報|一般社団法人日本望遠鏡工業会
参考文献[編集]
- 『クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み』朝日ソノラマ
- 『クラシックカメラ専科No.9、35mm一眼レフカメラ』朝日ソノラマ