ポール・ヴィノグラドフ (法制史学者)

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ポール・ヴィノグラドフ
Paul Vinogradoff
生誕 (1854-11-30) 1854年11月30日
ロシア帝国の旗 ロシア帝国コストロマ
死没 (1925-12-19) 1925年12月19日(71歳没)
フランスの旗 フランス共和国パリ
出身校 モスクワ大学
職業 法制史学者
配偶者 ルイーゼ・スタング
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: Пáвел Гаври́лович Виногрáдов[1]: Paul Gavrilovich Vinogradoff185411301118 - 19251219

[]


187518843

1892Villainage in England1904西1909191419251920260

12[2]



189719011903

[3]

19081911姿1917

1917192571

脚注[編集]

  1. ^ 音訳・転写:Pavel Gavrilovič Vinogradov
  2. ^ ヴィノグラドフのルイゼ夫人は1898年に彼がノルウェー語習得のためにノルウェーに短期留学した際に現地で知り合ったノルウェー人とイギリス人のハーフであった。
  3. ^ ヴィノグラドフはモスクワ大学時代、弟子であるミハイル・ゲルシェンゾーンを教授に推薦したが、彼がユダヤ人であるという理由だけで拒絶されたという出来事があり、教授の任用要件に人種要項を加えるべきではないと主張したのである。

参考文献[編集]

  • ヴィノグラドフ(末延三次・伊藤正己訳)『法における常識』(岩波書店(岩波文庫)、1972年) ISBN 978-4-00-340171-2
  • ポール・ヴィノグラードフ(富沢霊岸・鈴木利章訳)『イギリス荘園の成立』(創文社、1972年)
  • 朝治啓三「ヴィノグラードフ」『歴史学事典 5 歴史家とその作品』(弘文堂、1997年) ISBN 978-4-335-21035-8