マイアー・グッゲンハイム
マイアー・グッゲンハイム︵Meyer Guggenheim 1828年2月1日 - 1905年3月15日︶は、アメリカ合衆国の実業家。グッゲンハイム家の家長。
スイスのアールガウ州レングナウにて、ドイツ系ユダヤ人の家庭に生まれる。1847年に渡米。
初めは輸入業者だったが、のちに鉱山経営と精練業に転じた、そのあまりの大富豪振りに﹁鉱山王﹂の異名を取った。妻のバーバラとの間に、成人した子供が10人いた。
子供たち[編集]
7人の息子と3人の娘のうち5人が、彼の事業を継いだ。
●アイザック・グッゲンハイム︵Isaac Guggenheim 1854-1922︶
●ダニエル・グッゲンハイム︵Daniel Guggenheim 1856-1930︶ - マイアーの死後、グッゲンハイム家の長となった。鉱山事業を拡大し、世界規模で利益を上げるにあたり、兄弟の中で最も功績が大きかった。
●マーリー・グッゲンハイム︵Murry Guggenheim 1858-1939︶ - 打ち紐と刺繍を輸入していたが、1881年までには鉱山経営と精練業を継いだ。
●ソロモン・R・グッゲンハイム︵Solomon Robert Guggenheim 1861-1949︶ - 財団を通じて現代美術館設立に寄与し、現代美術を支援した。
●︵ジョン・︶サイモン・グッゲンハイム︵(John) Simon Guggenheim 1867-1941︶ - 一期にコロラド州知事を務めた。ジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団はグッゲンハイム・フェローシップを主宰する。
●ベンジャミン・グッゲンハイム︵Benjamin Guggenheim 1865-1912︶ - タイタニック号の沈没により事故死。
●ベニータ・グッゲンハイム︵Benita Guggenheim︶ - マイアーの娘。
●ウィリアム・グッゲンハイム︵William Guggenheim︶ - マイアーの末子。