紀元前362年
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紀元前362年︵きげんぜん362ねん︶は、ローマ暦の年である。
当時は、﹁アハラとアヴェンティネンシスが共和政ローマ執政官に就任した年﹂として知られていた︵もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元392年︶。紀年法として西暦︵キリスト紀元︶がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前362年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法[編集]
●干支 : 己未 ●日本 ●皇紀299年 ●孝安天皇31年 ●中国 ●周 - 顕王7年 ●秦 - 献公23年 ●楚 - 宣王8年 ●斉 - 桓公13年 ●燕 - 桓公11年 ●趙 - 成侯13年 ●魏 - 恵王8年 ●韓 - 昭侯元年 ●朝鮮 ●檀紀1972年 ●ベトナム : ●仏滅紀元 : 183年 ●ユダヤ暦 :できごと[編集]
ペルシア帝国[編集]
●カリアのマウソロスが、ペルシア帝国のアルタクセルクセス2世に対してアナトリア半島各地のサトラップ︵太守︶たちの反乱に加わった。エジプト[編集]
●スパルタ王アゲシラオス2世が、ペルシア帝国との戦いでエジプトに加勢するため、1000人の兵士とともに来援した。ギリシア[編集]
●マンティネイアの戦い (紀元前362年) ●アルカディア同盟 (Arcadian League) に内紛が勃発し、マンティネイア (Mantineia) は、アテナイおよびスパルタと結び、テゲアや他の同盟参加国はテーバイに味方した。テーバイの将軍エパメイノンダスは、ペロポネソス半島各地からの多数の同盟軍を率いることになった。これに対して、将軍アルキダモス3世が率いるスパルタ、アテナイ、そのほかの同盟軍が、マンティネイアの戦いで相見えた。この会戦は、テーバイ側の勝利に終わったが、エパメイノンダスは戦死した。エパメイノンダスは死に際に会戦後の和平を命じたため、和平が結ばれ、ギリシア全域に平和が到来した。これによってギリシア全域に対するテーバイの覇権の時代は終わった。中国[編集]
●魏が澮で韓と趙の連合軍を破り、趙の楽祚を捕らえた。 ●少梁の戦いにおいて秦と魏が戦い、魏が敗れて、宰相︵公孫痤︶が捕虜となった。誕生[編集]
「Category:紀元前362年生」も参照
- カルディアのエウメネス - ギリシアの将軍、学者(紀元前316年没)
死去[編集]
「Category:紀元前362年没」も参照
脚注[編集]
注釈
出典