リンジー・バッキンガム
リンジー・バッキンガム Lindsey Buckingham | |
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![]() 2018撮影 | |
基本情報 | |
出生名 | Lindsey Adams Buckingham |
生誕 | 1949年10月3日(74歳) |
出身地 |
![]() カリフォルニア州パロアルト |
ジャンル |
ロック ポップス ニュー・ウェイヴ 映画音楽 |
職業 | シンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ボーカル、ギター、ベース、キーボード、ドラムス |
活動期間 | 1968年 – 現在 |
レーベル |
アサイラム・レコード ポリドール・レコード ワーナー・ミュージック マーキュリー・レコード リプリーズ・レコード Mind Kit Records Eagle Rock Entertainment アトランティック・レコード East West Records |
共同作業者 |
フリートウッド・マック スティーヴィー・ニックス クリスティン・マクヴィー |
公式サイト | lindseybuckingham.com |
著名使用楽器 | |
Rick Turner Model 1 Chet Atkins CEC RS6 |
リンジー・バッキンガム︵Lindsey Buckingham、1949年10月3日 - ︶は、アメリカ合衆国出身のシンガーソングライター、ギタリスト、音楽プロデューサー。アメリカでの発音はバッキンハムである
ロックバンド﹁フリートウッド・マック﹂のギタリストとして知られ、ソロ・アーティストとしても精力的に活動している。
1998年、マック名義で﹃ロックの殿堂﹄入り[1]。ローリング・ストーン誌選出﹁歴史上最も偉大な100人のギタリスト﹂第100位。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/Stevie_Nicks_and_Lindsey_Buckingham.jpg/220px-Stevie_Nicks_and_Lindsey_Buckingham.jpg)
長年ペアを組んだスティーヴィー・ニックスと︵2004年︶
バンド解散後、1967年に加入した同じ高校出身のスティーヴィー・ニックスとデュオ﹁バッキンガム・ニックス﹂を結成。1973年には同名のアルバムをリリースするが余り注目を浴びなかった[2]。
しかし、2枚目のアルバムを録音中にイギリス出身の人気バンド﹁フリートウッド・マック﹂[3]のリーダー、ミック・フリートウッドと出会い、1974年12月にバンドを離れたボブ・ウェルチの後継として1975年1月、ニックスと共にバンドへ加入。
その後、音楽面のリーダーとして﹃ファンタスティック・マック﹄﹃噂﹄﹃牙 (タスク)﹄﹃ミラージュ﹄等、名作アルバムの制作を支え、ライブ・ツアーにおいても重要な役割を果たす。特に﹃噂﹄は、ビルボードにおいて全米アルバム・チャート31週連続でトップを維持し、リンジーも一躍時の人となった。
そんなバンド活動と並行しながら1981年にヒット曲﹁トラブル﹂を含む﹃ロー・アンド・オーダー﹄、1984年には実験的な﹃ゴー・インセイン﹄と2枚のソロ・アルバムを発表。
またこの間、ブライアン・ウィルソン、ランディ・ニューマン、ウォーレン・ジヴォン、ボブ・ウェルチ、ドリーム・アカデミーらとのセッションやプロデュースなどの活動も行っている。1985年には豪華な顔ぶれと共にUSAフォー・アフリカに参加し、﹁ウィ・アー・ザ・ワールド﹂のコーラスを担当。
1987年、アルバム﹃タンゴ・イン・ザ・ナイト﹄リリースと同時に、突如マックを脱退。1992年ソロとして隠れた名盤﹃アウト・オブ・ザ・クレイドル﹄を発表するも、長く表舞台に登場しない状態が続く。
1996年、フリートウッド・マックは突如、絶頂期のメンバーで再結成ライブを行い、リンジーも復帰し更に鋭さが増したプレイでファンを魅了。1997年、ライブ・アルバム﹃ザ・ダンス﹄として発表する。そして、既に制作していたリンジーのソロ・アルバムを下敷きに、2003年にマックとして新作アルバム﹃セイ・ユー・ウィル﹄をリリース。
2006年10月、57回目の誕生日にソロ・アルバム﹃アンダー・ザ・スキン﹄を発表。ライブ活動を積極的に行う中、2008年9月に﹃Gift of Screws﹄、2011年9月には﹃シーズ・ウィー・ソウ﹄と、ソロ・アルバムを続けて発表している。
2017年4月には、クリスティン・マクヴィーとのデュオ名義でアルバム﹃リンジー・バッキンガム クリスティン・マクヴィー﹄を発表[4]。
2018年、フリートウッド・マックのスケジュールの相違でバンド側と折り合いがつかず、同4月に脱退の発表[5]。本人は1月に解雇されたと説明した[6]。同10月、不当解雇を理由に訴訟を起こしたが、その後バンド側と和解する[7]。
2019年初頭、以前から患っていた心臓疾患が悪化し手術を受けるが、その際に声帯の損傷も併発してしまう。完治するまでの療養期間、今後の活動を休止する[8]。
経歴[編集]
1947年10月3日、米サンフランシスコ近郊のパロ・アルト生まれ。7歳からギターを始め、やがて、サイケデリック・バンド﹁フリッツ﹂に参加。![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/Stevie_Nicks_and_Lindsey_Buckingham.jpg/220px-Stevie_Nicks_and_Lindsey_Buckingham.jpg)