レオン・ミンクス
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レオン・ミンクス Léon Minkus | |
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Léon (Ludwig) Minkus, Paris, circa 1870. Photo by B. Braquehais | |
基本情報 | |
生誕 |
1826年3月23日 ボヘミア王国、ブルノ近郊 |
死没 |
1917年12月7日(91歳没) オーストリア=ハンガリー帝国、ウィーン |
レオン・︵フョードロヴィチ・︶ミンクス︵Léon Fedorovich Minkus, 1826年3月23日 ブルノ近郊 - 1917年12月7日 ウィーン︶はオーストリア帝国出身で、ロシア帝国で活躍した作曲家・劇場指揮者・ヴァイオリニスト。19世紀のバレエ作曲家では最も人気のある一人。本名はルートヴィヒ・アロイジウス・ミンクス︵Ludwig Aloisius Minkus︶といい、ポーランド人とチェコ人の血筋が入っているとされる。振付師マリウス・プティパの協力を得て、20年近くにわたってペテルブルクのロシア帝室バレエ︵現マリインスキー・バレエ︶のために舞踊音楽を作曲した。
ミンクスの最も著名なバレエ音楽には、﹁ドン・キホーテ﹂︵1869年︶、﹁ラ・バヤデール﹂︵1877年︶、﹁パキータ﹂︵1881年︶の3曲があり、これらは今日でも世界中で、プロフェッショナルのバレエ団の基本の演目となっている。また、1884年にアドルフ・アダンの﹁ジゼル﹂を、1885年にはフェルディナン・エロールの﹁ラ・フィユ・マル・ガルデ︵リーズの結婚︶ ﹂を改作した。この2曲のミンクス版は、現在でもロシアでは上演されている。
主要作品[編集]
バレエ作品[編集]
参考文献[編集]
- 井上和男『改訂版 クラシック音楽作品名辞典』三省堂、1998年2月10日、906頁。