ロビン・トロワー
ロビン・トロワー Robin Trower | |
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1975年のライブ | |
基本情報 | |
出生名 | Robin Leonard Trower |
生誕 | 1945年3月9日(79歳) |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル | ブルース、ブルースロック、ハードロック、サイケデリック・ロック |
職業 | ミュージシャン、ソングライター、バンドリーダー |
担当楽器 | ギター |
活動期間 | 1962年 - |
レーベル | クリサリス、アトランティック、Mascot、V12 |
公式サイト |
www |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ストラトキャスター | |
ロビン・トロワー︵Robin Trower [traʊə(r)][1]、1945年3月9日 - ︶は、イギリスのブルース、ロック・ギタリスト。プロコル・ハルムの初期メンバーとして活動した後、自身のトリオを率いているなどしている。代表的な﹁ジミヘン・フォロワー﹂の一人である[2]。ジミ・ヘンドリックス的な曲作りと、良く似た粘り気のあるブルージーなサウンドから、﹁ジミの再来﹂と評された[3]。
2008年のライブ
1981年、ドラムのビル・ローダンのみ残し、ジャック・ブルースとのトリオを組む。同年、バンド・アンサンブル重視の﹃B.L.T. (ジャック・ブルース+ビル・ローダン+ロビン・トロワー)﹄を発表。翌1982年には、ドラムをロビン・トロワー・バンドのオリジナル・メンバー、レグ・イサドアに替え﹃Truce﹄をリリースする。ファンクからハードロックまでと多彩であったジャック・ブルースとの共演はアルバム2枚で終了し、再びジェイムズ・デュワーと組み、1983年、﹃虹色の戦慄﹄をリリースする。
その後は、アルバム・リリースの場をインディーズ・レーベルにも移し、1994年には自らのレーベル、V12 Records[12]を立ち上げている。1991年のプロコル・ハルム再結成に参加したのち、1990年代のブライアン・フェリーのアルバム2枚[13]に共同プロデューサー及びギタリストとして、続くアルバムにもギタリストとして参加し、フェリーの来日公演にも同行した。近年ではV12 Recordsから散発的にアルバムをリリースしながら、2008年には欧米ツアー行うなど、ソロ初期の曲も含めたライブ活動を続けている。
来歴[編集]
生い立ちからプロコル・ハルム[編集]
少年時代、B.B.キング、オーティス・ラッシュらブルース・ギタリストに影響を受けたトロワーは、1963年、ゲイリー・ブルッカーらと4人編成のR&Bバンド、パラマウンツで本格的な音楽活動を始める。ローリング・ストーンズはパラマウンツを﹁イングランド最高のR&Bバンド﹂と評し[3]、前座として起用した。その後、パラマウンツは6枚のシングル盤をリリースしつつ、ビートルズの前座や、サンディ・ショー、クリス・アンドリュースなどのバックバンドを務める。1966年11月、パラマウンツを脱退したトロワーは、ジャムというブルース・トリオを始めるが短命に終わる。 1967年7月、デビュー・シングル﹁青い影﹂を大ヒットさせたばかりのプロコル・ハルムが分裂し、リーダー格であった元パラマウンツのゲイリー・ブルッカーの誘いでプロコル・ハルムに加入する。トロワーはプロコル・ハルムで順調にキャリアを重ねるが、1970年、ドイツでジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスと共演した際に、ジミのプレイに感銘を受け[2]、ジミの死後、1971年にリリースされた﹃ブロークン・バリケーズ﹄において、﹁ジミに捧げる歌﹂として﹁ソング・フォー・ア・ドリーマー﹂を発表し[4]、ギターもジミが主に使用したフェンダー・ストラトキャスターに替えるなど[3]、ジミからの影響が強まる。他のメンバーとの音楽性の相違も大きくなり、1971年7月、トロワーはプロコル・ハルムを脱退。元ストーン・ザ・クロウズのベーシスト、ジェイムズ・デュワーらとプロジェクト的バンド、ジュードを始めるが不調に終わる。トロワーとデュワーは、元ジョー・ジャマー・バンドのドラマー、レグ・イサドアを誘い、トロワーは自身のソロ・プロジェクトとしてのバンドを結成することとなる。ロビン・トロワー・バンド[編集]
︵註:ロビン・トロワー・バンドはトロワーのソロ・プロジェクトの通称であり、アルバム名義は﹁ロビン・トロワー﹂である︶ 1973年2月、トロワーらは最初のライブをウィーンで行い、続いて3月にデビュー・アルバム﹃過去よりの再帰﹄をリリース。このアルバムはセールス的にふるわなかった︵全米チャート106位︶ものの、翌1974年にリリースされたセカンド・アルバム﹃魂のギター﹄がアメリカで大ヒットし︵全米チャート7位、ゴールド・ディスク獲得︶、更に米﹃ギター・マガジン﹄誌において、1974年度ベスト・ギター・アルバムに選ばれる[3]など、アメリカで高い人気を得る。トロワーは、このアルバムの成功は、レコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリック︵ビートルズのレコーディング・エンジニアとして有名︶の功績が大きかったと述べている[5]︵ジェフ・エメリック#ビートルズ以降も参照︶。 1975年、ドラムを元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのビル・ローダンに替え、﹃遥かなる大地﹄をリリース。アメリカでの人気︵全米チャート5位、ゴールド・ディスク獲得︶のみならず、本国イギリスでもチャートイン[6]。日本での評判も高まり[7]、トロワーのギタリストとしての評価は固まる。以上、3枚のアルバムは、元プロコル・ハルムのマシュー・フィッシャーがプロデュースした。更に1976年、1975年のヨーロッパツアーにおけるストックホルムでのライブ盤﹃ロビン・トロワー・ライヴ!﹄により、人気・評価ともに絶頂期をむかえ[4][8]、つづく全米ツアーは史上最大のP.A.システムを使う[9]という大がかりなものとなった。 1976年9月にリリースされた﹃ロング・ミスティ・デイズ﹄は、サウンドがポップ寄りに変化し[3]、トロワーにとって唯一とも言えるシングル・ヒット﹁カレドニア﹂︵全米シングルチャート82位︶を出す。その後、元スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベース、ラスティ・アレンを加え、ジェイムズ・デュワーはボーカルのみという編成でツアーを行い、1977年1月には初来日する[10]。4人編成となったバンドは、ボビー・ウーマックらソウル・アーティストを手がけていたドン・デイヴィスをプロデューサーに迎え、1977年﹃白昼の幻想﹄、1978年﹃キャラバン・トゥ・ミッドナイト﹄と、より米国マーケットを狙ったアルバム[7]をリリースする。トロワーは後に﹁ジミの影響から逃れようとしていた[2]﹂とも述べている。ラスティ・アレンが脱退し、トリオ編成に戻ったバンドは、1979年、原点回帰的な﹃地獄脱出﹄をリリースするがセールスは伸びず[11]、翌1980年5月、トロワーは7年間にわたった、ほぼ同一メンバーによるソロ・プロジェクトを終了する。ジャック・ブルースとのユニット以降[編集]
ディスコグラフィ[編集]
スタジオ・アルバム[編集]
- 『過去よりの再帰』 - Twice Removed from Yesterday (1973年) ※旧邦題『ロビン・トロワー』
- 『魂のギター』 - Bridge of Sighs (1974年)
- 『遥かなる大地』 - For Earth Below (1975年)
- 『ロング・ミスティ・デイズ』 - Long Misty Days (1976年)
- 『白昼の幻想』 - In City Dreams (1977年)
- 『キャラバン・トゥ・ミッドナイト』 - Caravan to Midnight (1978年)
- 『地獄脱出』 - Victims of the Fury (1979年)
- 『虹色の戦慄』 - Back It Up (1983年)
- 『ビヨンド・ザ・ミスト』 - Beyond the Mist (1985年) ※スタジオ&ライブ
- Passion (1986年)
- Take What You Need (1988年)
- 『イン・ザ・ライン・オブ・ファイヤー』 - In the Line of Fire (1990年)
- 『20th・センチュリー・ブルース』 - 20th Century Blues (1994年)
- Someday Blues (1997年)
- Go My Way (2000年)
- Living Out of Time (2004年)
- Another Days Blues (2005年)
- What Lies Beneath (2009年)
- The Playful Heart (2010年)
- Roots and Branches (2013年)
- Something's About To Change (2014年)
- 『ホエア・ユー・アー・ゴーイング・トゥ』 - Where You are Going To (2016年)
- 『TIME AND EMOTION』 - Time And Emotion (2017年)
- Coming Closer to the Day (2019年)
- 『ユナイテッド・ステート・オブ・マインド』 - United State of Mind (2021年) ※with マキシ・プリースト、リヴィングストン・ブラウン
- No More Worlds to Conquer (2022年)
- Joyful Sky (2023年) ※with Sari Schorr
ライブ・アルバム[編集]
- 『ロビン・トロワー・ライヴ!』 - Robin Trower Live! (1976年)
- 『ライヴ・イン・コンサート』 - BBC Radio 1 Live in Concert (1992年) ※1975年録音
- 『キング・ビスケット・ライヴ』 - King Biscuit Flower Hour Presents: Robin Trower in Concert (1996年) ※1977年録音
- This Was Now '74–'98 (1999年) ※1974年、1998年録音
- 『リビング・アウト・オブ・タイム / ライブ2005』 - Living Out of Time: Live (2006年)
- RT@RO.08 (2009年)
- Robin Trower at The BBC 1973–1975 (2011年) ※1973年-1975年録音
- State To State: Live Across America 1974–1980 (2013年) ※1974年-1980年録音
- Rock Goes To College 1980 (2015年) ※1980年録音
プロコル・ハルム[編集]
- 『青い影』 - Procol Harum (1967年)
- 『月の光』 - Shine On Brightly (1968年)
- 『ソルティ・ドッグ』 - A Salty Dog (1969年)
- 『ホーム』 - Home (1970年)
- 『ブロークン・バリケーズ』 - Broken Barricades (1971年)
- 『放蕩者達の絆』 - The Prodigal Stranger (1991年)
- 『シンフォニック・プロコル・ハルム〜青い影』 - The Long Goodbye (1995年) ※オーケストラとの共演盤
ジャック・ブルースとのユニット[編集]
- 『B.L.T. (ジャック・ブルース+ビル・ローダン+ロビン・トロワー)』 - B.L.T. (1981年)
- Truce (1982年)
- 『セブン・ムーンズ』 - Seven Moons (2008年)
- 『セヴン・ムーンズ・ライブ』 - Seven Moons Live (2009年) ※ライブ
サウンドトラック[編集]
- The Good Humor Man (2005年) ※日本未公開[14]
日本公演[編集]
- 1月22日,24日,28日 中野サンプラザ
- 1月25日 大坂厚生年金会館
- 1月26日 名古屋市公会堂
脚注[編集]
- ^ Robin Trower - Day Of The Eagle - 3/15/1975 - Winterland (Official)
- ^ a b c Chris Welch "Robin Trower-Portfolio"(Chrysalis CP28-1026) ライナーノーツ
- ^ a b c d e 伊藤秀世 『ロビン・トロワー・クラシック・コレクション』(東芝EMI) ライナーノーツ
- ^ a b 赤岩和美 監修 『ブリティッシュ・ロック大名鑑』 ブロンズ社、1978年
- ^ GALLAGHER, MARRIOTT, DERRINGER, TROWER "ROCK CHRONICLES",Dan Muise,2002,ISBN 978-0634029561
- ^ Chart Archive Robin Trower-For Earth Below [1]
- ^ a b 『ロック貴重盤 1967~1979』、シンコー・ミュージック、1988年、ISBN 4-401-61263-9
- ^ Chart Archive Robin Trower-Live [2]
- ^ 1976 Chrysalis press release [3]
- ^ 1/22,24 中野サンプラザ、1/25 大阪厚生年金会館、1/26 名古屋市公会堂、1/28 中野サンプラザ
- ^ Chart Archive Robin Trower-Victims Of The Fury [4]
- ^ allmusic.com V12 Records [5]
- ^ 『タクシー』(1993年)と『マムーナ』(1994年)
- ^ IMDb "The Good Humor Man" Full Cast & Crew [6]