ローラ・ラ・プラント
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ローラ・ラ・プラント Laura La Plante | |
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ローラ・ラ・プラント(1924年) | |
本名 | Laura LaPlant |
生年月日 | 1904年11月1日 |
没年月日 | 1996年10月14日(91歳没) |
出生地 | セントルイス |
死没地 | ロサンゼルス |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 女優 |
活動期間 | 1920 - 1935 |
配偶者 |
ウィリアム・A・サイター (1926 - 1934、離婚) アーヴィング・アッシャー(1934 - 1985、死別) |
ローラ・ラ・プラント︵Laura La Plante、1904年11月1日 – 1996年10月14日︶はアメリカの映画女優。サイレント映画期に活躍した。ローラ・ラ・プランテと表記されることもある。
経歴[編集]
15歳でデビューし、1923年にはワンパス・ベビー・スターズに選出された[1]。1920年代には60本以上の映画に出演した。 ユニバーサル・ピクチャーズでクラレンス・ブラウン監督の﹃燻ゆる情炎﹄、パウル・レニ監督の﹃猫とカナリヤ﹄、レジナルド・デニー共演の﹃スキナーの夜会服﹄、ウィリアム・ワイラー監督の﹃恋のからくり﹄、エドナ・ファーバー原作の﹃ショウ・ボート﹄などに出演[2]、トップ女優となる。 20代半ばでトーキーの時代を迎えると、新人スターに押されて次第に仕事が激減した。 1931年以降、ラ・プラントはイギリスに渡り、スピード重視の低品質で知られたワーナー・ブラザースのテディントンスタジオ作品に出演する。﹃影なき男﹄シリーズのマーナ・ロイの後任として名前も挙がったが、ロイがシリーズに残ったため、ハリウッド復帰はならず、1935年に引退した。︵後に復帰︶ 1996年、アルツハイマー病のため死去。91歳だった[3]。 カリフォルニア州アゴウラヒルズには彼女の名前にちなんだ﹁Laura La Plante Road﹂がある[4]。家族[編集]
妹のヴァイオレット・ラ・プランテ︵英語版︶もサイレント女優。姉同様、ワンパス・ベビー・スターズに選出もされたが姉ほどの活躍はできなかった。フィルモグラフィ[編集]
脚注[編集]
(一)^ Brownlow, Kevin (1996年10月16日). “Obituary: Laura La Plante”. Independent. オリジナルの2017年10月4日時点におけるアーカイブ。 2017年10月4日閲覧。
(二)^ silenthollywood.com
(三)^ “Hollywood Star Walk: Laura La Plante”. Los Angeles Times. (1996年10月16日) 2018年3月14日閲覧。
(四)^ Laura La Plante Dr – Google Maps (Map) (2014 ed.). Google Maps. 2014年8月5日閲覧。
(五)^ 東京朝日新聞 昭和4年3月25日夕刊の広告︵浅草電気館、新宿武蔵野館︶
外部リンク[編集]
- ローラ・ラ・プラント - KINENOTE
- Laura La Plante - IMDb
- ローラ・ラ・プラント - Find a Grave
- Laura La Plante(NY Public Library, Billy Rose collection)
- Laura La Plante at Virtual History