七去
七去︵しちきょ︶とは、妻を離婚できる事由とされた、下記の七つの事由のこと。七出︵しちしゅつ︶とも呼ばれる。﹃礼記﹄の﹁大戴礼﹂にあらわれ、日本では江戸時代に﹃女大学﹄などの書物によって一般化した[1]。
(一)舅に従わない︵義父母に従わない、家訓に背く︶
(二)無子(子供ができない。ただし、妾に子供がある場合はその限りでない。また子がなくても良妻であり義父母に気に入られ、良く仕えているならその限りではないともされている)
(三)淫乱(浮気、姦通など)
(四)嫉妬(家族を恨み、怒る場合)
(五)悪疾(家族に伝染するような疾患に罹患した場合。病気がちなのは理由とはならない)
(六)多言(男のようによく喋り、家の方針についてあれこれ口を挟む)
(七)窃盗(家の財産の使い込み、勝手な金銭の使用や持ち出し)
貝原益軒が81歳のときに記した﹃和俗童子訓﹄のその巻の五の﹁女子を教える法﹂に記載がある[1]。﹁女子を教える法﹂は後に﹃女大学﹄と名を替えて出版され、江戸時代から太平洋戦争戦前まで、女子教育のバイブルとして君臨した[1]。﹁婦人に七去︵しちきょ︶とて、あしき事七あり。一にしてもあれば、夫より遂去︵おいさ︶らるる理︵ことわり︶なり。故に是︵これ︶を七去と云︵いう︶。是古︵いにしえ︶の法なり。女子にをしえきかすべし。一には父母にしたがはざるは去︵さる︶。二に子なければさる。三に淫なればさる。四に嫉︵ねた︶めばさる。五に悪疾︵あしきやまい︶あればさる。六に多言なればさる。七に竊盗︵ぬすみ︶すればさる﹂というがその該当部分である[1]。
戦前には﹁七去三従﹂という言葉も使われた[2]。﹁三従﹂とは、﹁生家では父に従い、嫁しては夫に従い、夫の死後は子供に従え﹂という教えであり[2]、やはり儒教の教えと関係が深い言葉であり、一個人より﹁家﹂の方が大切なものと考えられていた[2]。
離婚の際には三行半とも称される離別状が書かれた。
また、七去・七出に合わせて﹁三不去﹂とも言われ、これは︵七去・七出に該当しても︶﹁離婚できない3つの事由﹂のことで、舅姑の喪に3年間服した、貧しい時に嫁いでのちに豊かになった︵出世した︶、すでに実家がなく帰る所がないの3つである[3][4]
出典[編集]
- ^ a b c d 【晩年の生きよう】貝原益軒 84歳で書いた「養生訓」 /編集委員 牧野弘道 産経新聞 1995.10.22 東京朝刊 21頁 あした特集 写有 (全1,924字)
- ^ a b c きょうの言葉 2013.02.21 佐賀新聞 26頁 情報 (全530字)
- ^ 劉佩宜、「中日両国古代における離婚及び嫉妬について」 『修平人文社會學報』 2008 p.169-194
- ^ 『浮世の法律』p29, 宗宮信次 著 (有斐閣, 1937)