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﹃万葉代匠記﹄︵まんようだいしょうき︶は、江戸時代の国学者・契沖が著した﹃万葉集﹄の注釈・研究書。
﹁代匠﹂という語は、﹃老子﹄下篇と﹃文選﹄第46巻豪士賦の中に出典があり、﹁本来これを為すべき者に代わって作るのであるから誤りがあるだろう﹂という意味である[要出典]。当時、水戸徳川家では、主君の光圀の志により、﹃万葉集﹄の諸本を集めて校訂する事業を行っていて、寛文・延宝年間に下河邊長流が註釈の仕事を託されたが、ほどなくして長流が病でこの依頼を果たせなくなったので、同好の士である契沖を推挙した[注 1]。
﹃代匠記﹄が着手されたのは天和3年の頃であり、﹁初稿本﹂は貞享4年頃に、﹁精選本﹂は元禄3年に成立した。﹁初稿本﹂が完成した後、水戸家によって作られた校本[注 2]と﹃詞林采葉抄﹄が契沖に貸し与えられ、それらの新しい資料を用いて﹁初稿本﹂を改めたのが﹁精選本﹂である。﹁初稿本﹂は長流の説を引くことが多く、一つの歌に対する契沖の感想や批評がよくあらわれている。純粋に歌の解釈のみを提出し、文献を基礎にして確実であるという点では、﹁精選本﹂の方が優れているという。
﹁初稿本﹂は世の中に流布したが、﹁精選本﹂は光圀の没後における水戸家の内紛などにより、日の目を見ることのないまま水戸家に秘蔵され、明治になって刊行された。
﹃万葉集﹄研究としての﹃代匠記﹄は、鎌倉時代の仙覺や元禄期の北村季吟に続いて、画期的な事業と評価されている。仏典漢籍の莫大な知識を補助に、著者の主観・思想を交えないという註釈と方法が、もっともよく出ている契沖の代表作で、以後の﹃万葉集﹄研究に大きな影響を与えた。
注解本[編集]
- ^ これにより『代匠記』における「為すべき者」については、「長流」とする意見が多いが、「光圀」とする意見もある。
- ^ 「四點万葉集」と「中院本」のこと。