三井吉正
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三井 吉正︵みつい よしまさ、天正12年︵1584年︶ - 寛永2年5月29日︵1625年7月3日︶︶は、江戸時代初期の旗本。三井弥一郎の嫡子。母は正栄院。正室は大久保長安の娘。通称弥一郎、十右衛門。官位は従五位下左衛門佐。法名道徹。
経歴[編集]
武田家遺臣の三井弥一郎の子として生まれる。天正12年︵1584年︶に弥一郎が小牧・長久手の戦いで討ち死にし、天正15年︵1587年︶、母の正栄院が奥勤めに上がる際に共に大奥に召し置かれた。成長後徳川家康に近侍し、遠江国城東郡、武蔵国都筑郡の内で1,500石を賜る。 慶長8年︵1603年︶、御徒頭に就任。 寛永2年︵1625年︶5月29日、死去。享年42。墓所は増上寺。跡を息子の三井吉次が継いだ。参考文献[編集]
- 福田千鶴『大奥を創った女たち』(吉川弘文館(歴史文化ライブラリー)、2022年
- 『新訂 寛政重修諸家譜 第九』 (続群書類従完成会)、1965年