上田農夫
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上田 農夫︵うえだ のうふ、1848年[1][2]6月30日︵嘉永元年5月30日[3][注 1]︶- 1895年︵明治28年︶8月29日[4]︶は、明治時代の政治家。衆議院議員︵1期︶。幼名は馬太郎[3][5]。
経歴[編集]
陸奥国岩手郡、のちの岩手県[4]南岩手郡東中野村[1][2]︵現盛岡市︶で盛岡藩士・上田長次[注 2]の二男として生まれる[5]。藩校作人館を経て1872年︵明治5年︶東京で遊学し、帰郷後の1876年︵明治9年︶岩手県に奉職する[5]。聴訟課権少属、警部を経て[6]、久慈警察署長、一関警察署長を歴任[1][2]。1877年︵明治10年︶の西南戦争では官軍の新撰旅団小警部心得として出征する[6]。自由民権運動に加わり、政治結社・求我社に加わった[1][3]。1879年︵明治12年︶[1][2][注 3]には岩手県会議員に当選し、議長を歴任した[3][7]。その後は勧業諮問委員を務めたほか、北水社を設立し育英事業に尽力した[4]。また、産馬事業に貢献した[4]。 1892年︵明治25年︶2月の第2回衆議院議員総選挙では岩手県第1区から出馬し当選したが[4]、当選訴訟で当選無効の判決を受けて同年10月4日に失職し[8]、衆議院議員を1期務めた[4]。伝記[編集]
- 上田十郎『上田農夫』1929年。※岩手県立図書館所蔵