出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上米の制︵あげまいのせい︶とは、江戸幕府8代将軍の徳川吉宗が享保の改革の際に出した制度。上げ米の制と表記することもある[1]。享保7年︵1722年︶に制定された。
大名に石高1万石に対して100石の米を納めさせる[2]代わりに、参勤交代の際の江戸在府期間を半年︵従来は1年︶とした。幕府の増収に貢献したが、問題点も多く享保15年︵1730年︶に廃止された。
そもそも上米の制は﹁御恥辱を顧みられず仰せ出されて候﹂と述べられるように、幕府財政を各藩に依存するものであり、幕府権威の低下は免れなかった。また、参勤交代の緩和策は江戸藩邸での経費削減につながり、大名の経済力の拡大をもたらしうるものだった。
(一)^ ﹃改訂 新潮国語辞典 -現代語・古語-﹄︵株式会社 新潮社。監修者‥久松潜一。編集者‥山田俊雄・築島裕・小林芳規。昭和53年10月30日 改訂第6刷発行︶p 23に、﹁あげマイ︻上︵げ︶米︼徳川吉宗が幕府の財政窮乏を救うため、享保年間︵一七一六~一七三五︶に諸侯に命じて納めさせた米﹂と記載されている。また、2006年3月8日に実施された富山県の公立高校 入学試験の社会の大問3の(2)の2の﹁改革の内容﹂の選択肢に、﹁ウ 上げ米の制, 目安箱の設置, 年貢の率の引き上げ﹂と記載されています。
(二)^ 例えば、加賀藩のような100万石であれば、10000石の米を献上させた。