井口静波
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井口 静波︵いぐち せいは、本名‥井口誠一、1898年3月15日 - 1968年6月13日︶は、日本の活動弁士、漫談家である。
東京生まれ。浪花節語りから[1]、大正時代に弁士として活動し、1926年︵大正15年︶に古川ロッパ、徳川夢声らとともに﹃ナヤマシ会﹄に結成に参加した。さらに、1933年︵昭和8年︶には、劇団﹁笑の王国﹂を旗揚げに参加した。同劇団の解散後は寄席に進出し浪花節のパロディーを得意ネタにした漫談[1]を披露、戦後もラジオなどに出演して人気を得ていた。
また、キングレコードから発売したレコード﹃浪曲学校﹄が大評判になった[2]。
著書に、﹃死闘バルシヤガル﹄や﹃ピンからキリまで﹄がある。妻である歌手の音丸とは、共に全国を巡業・慰問した。
著書[編集]
- 死闘バルシヤガル 青磁社 1942.4
- ピンからキリまで ひろば書房 1956
脚注[編集]
- ^ a b 真鍋昌賢『浪花節 流動する語り芸 演者と聴衆の近代』p.263
- ^ 中村孝也『野間清治伝』野間清治伝記編纂会、1944年、698頁。NDLJP:1879085/410