井手三郎
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井手 三郎︵いで さぶろう、文久3年5月15日[1]︵1863年6月30日︶ - 昭和6年︵1931年︶11月16日[2]︶は、衆議院議員︵中央倶楽部→立憲同志会→憲政会︶、ジャーナリスト。
経歴[編集]
肥後国飽田郡中島村︵現在の熊本県熊本市西区︶出身。1887年︵明治20年︶、済々黌を卒業。中国語を学び、漢口や北京を巡った。日清戦争の際には大本営附となり、第一軍民政庁通訳官を務めた。戦後、海軍軍令部嘱託として北京・天津を視察した。 1897年︵明治30年︶、福州にて﹁漢字新報﹂を創刊。翌年、貴族院議長・公爵近衛篤麿が東亜同文会を創設すると、それに参加し、上海支部長に任命された。上海租界では漢字新聞﹁同文滬報﹂を発行、1904年︵明治37年︶7月には邦字新聞﹁上海日報﹂の経営を引き継いだ[3]。1909年︵明治42年︶、上海居留民団行政委員に選ばれ、同副議長を務めた。 1912年︵明治45年︶の第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第12回衆議院議員総選挙でも再選された。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。