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交響曲第1番 ヘ短調 作品15︵ポーランド語: I Symfonia f-moll op. 15︶は、カロル・シマノフスキが1907年に作曲した交響曲。
1906年から1907年にかけて書かれた。当初は3楽章構成のつもりで作曲していたが、第2楽章は完成しなかったので、第1、3楽章のみしか演奏されない。この曲は評価されることなく消えていき、シマノフスキ自身も成功しなかったとみなしている。
第1楽章は、悲劇的アレグロ︵Allegro pathétique︶。1906年7月11日付のアンナ・マリア・クレフニオフスカ︵英語版︶への手紙で次のように書いている。
すでに交響曲の第1楽章のスケッチを完了しまして、明日からオーケストレーションにとりかかります。何かしら﹁対位法的―和声法的―オーケストラの怪物﹂といったものができそうです。批評家たちが罵詈雑言で口を青黒くして、演奏会場から出ていくだろうと、今から楽しみにしています。
— シマノフスキ、日本シマノフスキ協会 編﹃シマノフスキ 人と作品﹄春秋社、1991年5月20日、65頁。ISBN 9784393931097。
第2楽章はスケッチを書いたもののオーケストレーションされず、現在では詳細は全く不明である。第3楽章はアレグレット・コン・モート・グラツィオーソ︵Allegretto con moto grazioso︶。交響曲の作曲は第3楽章から始められたと推測されている。シマノフスキは﹁非常に軽快な着想﹂として第3楽章を好んでいた。
1909年3月26日にワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団で、シマノフスキの死後の1938年10月6日にポーランド放送︵英語版︶で、いずれもグジェゴシュ・フィテルベルクの指揮で演奏された。