京山華千代
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︵初代︶京山 華千代︵きょうやま はなちよ、1904年︵明治37年︶8月11日 - 1983年︵昭和58年︶1月7日︶は、大正・昭和期の浪曲師。本名、山本華子。
。文芸浪曲の大家。冨士月子、初代春野百合子等と共に競い合い女流浪曲の一時代を築いた。得意の演題は﹁番町皿屋敷﹂、﹁父帰る﹂など。
来歴[編集]
佐賀県の生まれ、祭文語りの東三光の養女で初代春野百合子は姉にあたる。幼少から浪曲に親しみ、1916年5月に北九州門司の稲荷座に京山二葉で初舞台。大阪の天満国光席を拠点とし国光女流団で22歳まで所属し活躍、大正末に京山華千代と改名。傾倒していた3代目鼈甲斎虎丸の元で厳しい稽古を受け、1927年に一座を結成し渡米、この時、生で見た﹁喜劇王﹂チャップリンが感動をしたという。二代目京山華千代に名代を譲る。1952年に一線を退き時折、研究会や大会に出演した。。文芸浪曲の大家。冨士月子、初代春野百合子等と共に競い合い女流浪曲の一時代を築いた。得意の演題は﹁番町皿屋敷﹂、﹁父帰る﹂など。
弟子[編集]
参考文献[編集]
- 『新撰芸能人物事典』p.288