今村俊三
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今村 俊三︵いまむら しゅんぞう、1928年1月25日 - 1990年12月24日︶は日本の俳人。
経歴[編集]
大分県大分市生まれ。教職にあった父親の転勤にともない、中津市、若松市︵現北九州市︶、直方市などで幼少期・少年期を過ごし、終戦を福岡市で迎える[1]。旧制福岡県立福岡中学校在学中に、右上葉浸潤、左肺上部空洞、左腎臓結核を併発、その後死去まで、結核と闘うことになる[2]。 1946年、同中学校卒業。桂樟蹊子および石田波郷に師事。﹁霜林﹂﹁鶴﹂を経て、1979年、﹁桃滴舎﹂を創刊、主宰[注釈 1]。1980年から1983年まで、西日本新聞のコラム﹁風車﹂を担当。句集10冊のほかに、﹁風車﹂のコラムをまとめた﹃桃滴コラム﹄、﹁桃滴舎﹂に連載したエッセイなどをまとめた﹃桃滴記﹄﹃桃滴日録﹄などの著書がある。代表句は、1960年に﹁鶴﹂の初巻頭を得た[3]﹁樟絶えず風生む母の日なりけり﹂︵句集﹃鳩の頸﹄所収︶など。門下に、中村祐子、吉野裕之などがいる。 また、1957年11月、吉岡禅寺洞、一丸章、住田郁、山本霞水、杉山参緑、吉永幹司などとともに集まり、福岡文芸家協会を発足[4]。 1990年、急性呼吸不全で死去。死去にともない、1991年1月、今村の追悼号をもって﹁桃滴舎﹂は第72号で終刊。同号には、生前交友のあった辻邦生が﹁桃滴舎と友情と﹂を寄せている[注釈 2]。残された会員は1年間の喪に服した後、1992年、中村祐子らを中心に﹁桃子集﹂を創刊[5]。受賞歴[編集]
- 1960年 霜林賞
- 1963年および1968年 風切賞
- 1969年 鶴賞
- 1973年 第3回福岡市文学賞
- 1974年 福岡俳人協会賞
著書[編集]
句集[編集]
- 『鳩の頸』 竹頭社、1961年
- 『家』 福岡鶴俳句会、1972年
- 『蟹曼荼羅』 福岡鶴俳句会、1972年
- 『冬の樫』 福岡鶴俳句会、1973年
- 『立歩』 桃滴舎、1975年
- 『至順』 桃滴舎、1975年
- 『翼』 桃滴舎、1975年
- 『樫のほとりに』 桃滴舎、1979年
- 『摘花集』 桃滴舎、1988年
- 『深養集』 桃滴舎、1991年
エッセイ集[編集]
- 『桃滴コラム』 桃滴舎、1983年
- 『桃滴記』 桃滴舎、1988年
- 『桃滴日録』 桃滴舎、1992年