伊余国造
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伊余国造︵いよのくにのみやつこ・いよこくぞう︶は、伊余国を支配した国造。
概要[編集]
祖先[編集]
●﹃先代旧事本紀﹄﹁国造本紀﹂によれば、成務天皇の御世に印幡国造と同祖の敷桁彦命の子・速後上命を国造に定められたとされる。 ●﹃古事記﹄によれば神八井耳命が伊余国造の祖とされる。氏族[編集]
伊余氏︵いようじ、姓は凡直︶。本拠[編集]
支配領域[編集]
国造の支配領域は当時伊余国と呼ばれた地域、後の令制国の伊予国伊予郡、現在の愛媛県松前町、伊予市に相当する。 8世紀初頭に確立した律令国家が松山平野に位置した﹁伊余国造﹂の名をとって令制国を﹁伊予国﹂としたのは、ヤマト王権にとって対九州との関係で重要な拠点であり、来住台地上に久米官衙群が存在したためともされる。参考文献[編集]
- 加藤謙吉 他・編『日本古代史地名事典』 雄山閣、2007年、ISBN 978-4-639-01995-4、770頁