伊吉真次
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伊吉 真次︵いき の ますき、生年不明 - 延暦15年8月6日︵796年9月11日︶︶は、奈良時代後期から平安時代初期の官人。姓は連。名は真継とも記される。外従五位下・大外記で、遣高麗副使を勤めた伊吉益麻呂の息子[1]。官位は外従五位下、鼓吹正・伊賀守。
経歴[編集]
称徳朝の天平神護2年︵766年︶2月、銭100万を献上し、外従八位下から外従五位下を授けられる[2]。 さらに神護景雲2年︵768年)2月、鼓吹正に任命されており[3]、その後、光仁朝の宝亀2年︵771年︶9月、相模伊波に職を譲っている[4]。 史書に現れているのは以上だが、系図によると、伊吉益麻呂の子で、﹁宮主従五位下伊賀守鼓吹正、或真継﹂とあり、﹁母忌部首黒麻呂女、自元祖十世、延暦十五年八月六日卒﹂と記されている。秦真成の娘との間に氏麻呂をもうけており、真次の4世の孫に﹃日本三代実録﹄貞観14年︵872年︶4月条、同5年9月条などに名前の見える是雄がいる[1]。官歴[編集]
注記のないものは﹃続日本紀﹄による- 時期不詳:外従八位下
- 天平神護2年(766年)2月4日:外従五位下
- 神護景雲2年(768年)2月18日:鼓吹正
- 時期不詳:従五位下・伊賀守(「松尾社家系図」による)
- 宝亀2年(771年)9月16日:散位
- 延暦15年(796年)8月6日:卒去(「松尾社家系図」による)