伊藤助太夫
概要[編集]
長府藩赤間関の大年寄であり、大名に宿舎を提供する東の本陣伊藤家の当主であった。諱は盛正、号は自然居士、静斎。
下関を代表する豪商であり、幕末の攘夷志士らを様々な側面から支援した。特に志士の代表とも言える坂本龍馬との関係は深いものであった。伊藤邸は慶応元年︵1865年︶の初対面以来、龍馬の止宿先であった。邸は広く、高杉晋作らが結成した奇兵隊も一時、邸内にある阿弥陀寺︵赤間神宮︶に本陣を移したこともある。
現存する龍馬が書いた手紙のうち、助太夫宛の手紙が2番目に多い︵14通︶ことからも龍馬との関係が深かったことが覗える。龍馬が構想していた土佐商会の馬関交易に関与、また名前を助太夫から九三に変えたのも龍馬の勧めからであった。
龍馬は慶応3年2月10日︵1867年3月15日︶、妻のお龍とともに下関を訪れ、伊藤邸の一室である﹁自然堂﹂を借り受ける。彼が号を自然堂と称したのは、ここから来ている。
43歳で病死。墓は下関の空月庵と名づけられた伊藤家墓所にある。
登場作品[編集]
- テレビドラマ