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佐伯惟定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

凡例

佐伯 惟定
時代 安土桃山時代から江戸時代前期
生誕 永禄12年(1569年
死没 元和4年6月9日1618年7月30日
別名 太郎、権正、権之助
戒名 宗忠功月大禅定門
主君 大友義統豊臣秀保藤堂高虎
津藩
氏族 豊後佐伯氏
父母 父:佐伯惟真
兄弟 緒方惟照惟定惟寛
惟重、女子(藤堂元則室)
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逸話[編集]

  • 梓峠の戦いで、惟定が戦利品として入手した義弘所有の唐物茶入は、後に惟定にちなんで「佐伯肩衝」と呼称された。
  • 『栂牟礼実録』には、蛇神の末裔大神一族であるため、雨の日を吉日とし、三枚の蛇鱗が生えていたとされ、一族に伝わる「手鉾之太刀(不抜之太刀)」「飛龍之太刀」「神息之太刀」「小屏風長刀」「巴作り之太刀」の五剣を所持していたと記されている。

参考文献[編集]

  • 『佐伯市史』(大分県佐伯市、1974年)
  • 『増補 藤堂高虎家臣辞典 附 分限帳等』(佐伯朗著、2013年)