内田晋斎
内田 晋斎︵うちだ しんさい、嘉永元年︵1848年︶ - 明治32年︵1899年︶5月12日︶は、明治期の書体研究家、教科書編集者、啓蒙思想家。晋斎は号で、他に芳斎。本名は嘉一。明治24年には、日本で初めての特許開発者ともなったとされる。
経歴[編集]
嘉永元年︵1848年︶上総国生まれ。慶応4年︵1868年︶に慶應義塾に入塾。卒業後、福沢諭吉著の﹃啓蒙手習之文﹄の版下作成を任じられ、儒学者・巻菱湖の書風で書かれた書体は評判が良かったといわれる。秀英体が採用した仮名書風の﹁秀英体A型仮名書風﹂の構想に深く関わっており、﹁秀英体B型仮名書風﹂には宮城玄魚が関わったとされる。また、辞書の日本語訳を最初に横書きにしたのは﹃浅解英和辞林﹄︵明治4年︶とされている。 他、数多くの教科書執筆を手がけ、文部省で横山由清、中根淑、南部義舞、片山淳吉の5名で﹁文法会﹂を結成した。墓所は谷中霊園。著作[編集]
- 教科書
- 『小学中等科読本』
- 『小学読本』
- 『小学読本高等科』
- 『かなづかひはやまなび』
- 『地学新篇』
- 『実用読本尋常科』
- 啓蒙書
- 『窮理捷径十二月帖』
- 『泰西訓蒙図解』
- 『素本(そほん) 世界國盡』