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二代目 勝川春山︵にだいめ かつかわ しゅんざん、生年不明 ‐ 明治4年︿1871年﹀2月29日︶とは、江戸時代末期から明治時代初期にかけての浮世絵師、職人。
初代勝川春山の門人。初代春山の娘婿となり、師の俗名文吉を継いだ。また、師が二代目勝文斎とも称したことから、三代目勝文斎とも名乗る。作画期は文政から没年までとされる。狂歌を天明老人に学び出久廼坊画安︵でくのぼうかきやす︶と号す。浮世絵師としてはふるわず、狂歌師や押絵細工の職人として名を残した。藤浪和子編﹃東京掃苔録﹄︵東京名墓顕彰会、1940年、p.119︶には、﹁押画細工を業とし、画も巧みなり﹂と記述され、押絵細工を本業としながら勝川派の絵師として活動していたことがわかる。墓所は初代春山と同じ豊島区西巣鴨の本好寺中の妙雲寺、法名は顕寿堂長遠日宝信士。弟子に養子にもなり、押絵細工の名手で﹁人形町の勝又﹂と呼ばれた四代目勝文斎がいる。
参考文献[編集]
- 木村捨三 「勝川春山の代々」 『浮世絵芸術』(第二号) 日本浮世絵協会、1963年[1]
- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
- 吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 雄山閣、1987年
- 『生誕一八〇年 押絵師 勝文斎 ~野田にやってきた江戸・東京文化~』 野田市郷土博物館編集発行、2015年10月17日