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千蔵尚

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千蔵 尚(ちくら たかし、1882年8月26日 - 1958年4月7日 )


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稿

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脚注[編集]

  1. ^ 一学年下に北原白秋(本名:北原隆吉)がいた。実家も近く交流があったと推測される。白秋は後に山田耕作と組んで「岡崎市歌」を作ることになるが、これに千蔵尚が関わっていた可能性もある。ちなみに女学校の校歌は、伝習館の先輩藤村作に作詞を依頼したことが分かっている。
  2. ^ この頃、女学校新校舎の建設をめぐって、賛成派と反対派が対立、町議会が二分し、暴力事件までに発展するいわゆる「二校三校事件」が勃発。反対派の岡田撫琴らは事件の責任を問われ拘留、裁判は大審院まで及ぶ。
  3. ^ 八木開枝は大正7年4月に岡崎市史史料の蒐集・編纂を目的とする「汲古会」が図書館内に設置されると、汲古会幹事として会の事務を取り仕切り、編集主任の柴田顕正を助けた。千蔵が岡崎を去り、柴田が新館長になった以降も長く図書館に勤めた。そうした永年の功績が認められ、昭和3年11月10日社会教育功労者として、文部大臣勝田主計から表彰された。

参考文献[編集]

  • 『新編岡崎市史近代 4』新編岡崎市史編さん委員会 1991年3月
  • 鈴木素夫「岡崎町立通俗図書館初代館長千蔵尚、書記八木開枝」『岡崎市史研究第29号』岡崎市教育委員会 2009年3月 p68〜p83
  • 千蔵尚『岡崎町立 通俗図書館図書目録 』 1914年9月
  • 千蔵尚『支那民俗小話集』1929年11月 児童新聞社

関連項目[編集]