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升本 喜兵衛︵ますもと きへえ、文政5年8月25日︵1822年10月9日︶ - 明治40年︵1907年︶9月13日[1]︶は、明治期の東京府出身の実業家。
来歴・人物[編集]
四谷大番町(現在の新宿区大京町附近)の酒屋、松本新助の長男として生まれる。父の家業が没落したため、揚場町の酒屋、升本で修行し、のちに独立して﹁升本屋﹂を復興。その際、父と同名の新助を襲名する。一度は火災により店を失うが、親族で両替商だった桝本喜平治の支援を受け、幕末期に市谷薬王寺町や市谷柳町に出店する。慶応2年︵1866年︶、名を喜兵衛に改め、明治維新の際、本拠地を揚場町に移す。
明治3年︵1870年︶、舛本喜兵衛として町年寄となり、牛込区の役職を歴任し、明治12年︵1879年︶、牛込区会議員に当選。また、土地事業を手懸け、旧旗本地を買占め、不動産業も着手し巨万の富を得る。明治15年︵1883年︶には東京市会議員に当選した。
酒販業においても親族である山田屋権兵衛の子孫、田畑安吉と組み、多くの従業員を使い、のれん分けした。現在の東京にある升本という酒販店の屋号はその由来から成る。
明治25年︵1893年︶、いまの升本姓に改め、代を養子である二代目喜兵衛︵松本兵蔵三男︶に譲った後、喜楽と名を改め、晩年は東京市における福祉事業に貢献した。
菩提寺は新宿区正応寺にある。
参考文献[編集]
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