国井庫
国井 庫︵くにい くら、文久3年7月16日[1]︵1863年8月29日︶ - 大正8年︵1919年︶5月27日[2]︶は、衆議院議員︵憲政本党→立憲国民党︶、弁護士。
経歴[編集]
出羽国村山郡上山町出身。1874年︵明治7年︶に上山町小学校を卒業し、1878年︵明治11年︶まで私塾で漢学を学んだ[1]。1879年︵明治12年︶から1884年︵明治17年︶まで小学校の教員を務めた[1]。1885年︵明治18年︶に明治法律学校︵現在の明治大学︶に入学し、卒業後に代言人の資格を得た[3]。1894年︵明治27年︶より1902年︵明治35年︶まで山形新聞社の社長を務めた[1]。 1902年の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。4回連続当選を果たした。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
- 『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。