坂本昌仁
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来歴
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1956年の日本選手権競輪︵後楽園競輪場︶及び全国都道府県選抜競輪︵神戸競輪場︶を優勝。この当時、後に﹃競輪の神様﹄と称されることになる、松本勝明︵京都︶の一番のライバルとして君臨した。しかし、とある年の大宮競輪場での競走中に落車し、ゴールの写真判定塔に激突して瀕死の重傷を負った一件が災いし、まもなくトップクラスの座から転落した。その後、再起不能とさえ言われながらもレースに復帰し、1984年6月11日に選手登録削除されるまで、通算728勝を挙げた。
なお、名前の﹃昌仁﹄を﹁まさひと﹂と呼んだ、当人の現役時代を知るファン、マスコミはほとんどおらず、通常、﹁しょうじん︵あるいは、しょうじ︶﹂と呼ばれていた。
関連項目
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