堀直格
堀直格 | |
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堀直格 | |
時代 | 江戸時代後期(幕末) - 明治時代 |
生誕 | 文化3年11月14日(1806年12月23日) |
死没 | 明治13年(1880年)8月13日 |
改名 | 堀直格→奥田直格 |
墓所 | 谷中霊園 |
官位 | 正五位、中務少輔、内蔵頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 信濃国須坂藩主 |
氏族 | 堀氏→奥田家 |
父母 |
父:堀直皓、母:黒田直亨の娘 養父:堀直興 |
兄弟 | 直興、直格 |
妻 | 正室:西尾忠善の娘 |
子 |
直武、水野直章(次男)、直正(三男)、 直虎、直明、直微(七男)、 娘(水野勝知正室のち太田某室)、 娘(花房某室のち本多忠紀正室)、 縁子(山名義済正室)、 娘(巨勢利国正室のち松平信懿室)、 娘(牧野成一室) |
堀 直格︵ほり なおただ︶は、信濃国須坂藩の第11代藩主である。信濃須坂堀家11代。
文化3年11月14日︵1806年12月23日︶、第9代藩主・直皓の三男として生まれる。文政4年︵1821年︶、長兄で第10代藩主の直興が死去したため養子となって家督を相続する。呉服橋門番、駿府加番を務めた。
弘化2年︵1845年︶に家督を長男の直武に譲って隠居した。
明治維新後は奥田姓に改姓した。明治13年︵1880年︶8月13日に死去した。享年75。
文人大名として知られ、著作として﹃扶桑名画伝﹄などがあり、親交のあった国学者・黒川春村に﹃歴代残闕日記﹄を執筆させた。