報恩寺 (常総市)
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報恩寺 | |
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![]() 報恩寺本堂 | |
所在地 | 茨城県常総市豊岡町丙1586−1 |
位置 | 北緯36度01分52.8秒 東経139度58分07.8秒 / 北緯36.031333度 東経139.968833度座標: 北緯36度01分52.8秒 東経139度58分07.8秒 / 北緯36.031333度 東経139.968833度 |
山号 | 高龍山 |
院号 | 謝徳院 |
宗派 | 真宗大谷派 |
創建年 | 建保2年(1214年) |
開山 | 性信 |
中興年 | 文化3年(1806年) |
正式名 | 高龍山謝徳院報恩寺 |
別称 | 坂東報恩寺、下総報恩寺 |
法人番号 | 5050005009366 |
報恩寺︵ほうおんじ︶は、茨城県常総市にある真宗大谷派の寺院。
歴史[編集]
1214年︵建保2年︶、性信によって開山された。性信は親鸞の高弟﹁二十四輩﹂の一人で、俗名﹁大中臣基久﹂といい、鹿島神宮宮司を務める大中臣宗基の子である。基久は法然に弟子入りして出家、﹁性信﹂と称することになった。法然は弟子の親鸞に性信を託し、以降は親鸞に師事することになった。承元の法難でも越後国に配流された親鸞に同行することになった[1]。 後に罪は赦免され、親鸞は関東地方に赴き、布教活動を開始した。親鸞が関東に向かったのは性信らの根拠地があったことによる。親鸞は下総国岡田郷横曽根︵現・茨城県常総市︶の廃寺状態だった真言宗の寺﹁大楽寺﹂を貰い受け、後事を性信に託した。これが当寺の起源である。性信が率いた浄土真宗の門徒を﹁横曽根門徒﹂という[1]。 1600年︵慶長5年︶の戦乱で焼失したため、江戸に寺基を移した。これが現在の東京都台東区にある報恩寺である。一方、旧地にも1806年︵文化3年︶に再興されている。これが当寺である。結果として、起源を同じくする寺院が東京と茨城に二つ存在することになった[1]。-
山門
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鐘楼
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本堂
交通アクセス[編集]
- 水海道駅より徒歩38分。