出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
姓名
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夏侯蘭
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時代
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後漢時代
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生没年
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〔不詳〕
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字・別号
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〔不詳〕
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出身地
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冀州常山郡?
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職官
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軍正〔劉備〕
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爵位・号等
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-
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陣営・所属等
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曹操→劉備
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家族・一族
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〔不詳〕
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夏侯 蘭︵かこう らん、生没年不詳︶は、中国後漢時代末期の武将。冀州常山郡出身と考えられている。
﹃三国志﹄の本文には記述がない。蜀志﹁趙雲伝﹂において裴松之が注釈で引用した﹃趙雲別伝﹄にのみ記述がある人物である。
それによると夏侯蘭は、曹操軍の夏侯惇の部下であったとされる︵同姓だが、連枝関係等は不明︶。夏侯惇が荊州の劉表を頼っていた劉備を攻撃することになると、夏侯蘭もこれに従軍した。しかし夏侯惇軍が劉備軍に博望で敗北したため、夏侯蘭は趙雲に生け捕りにされた︵博望坡の戦い︶。
しかし夏侯蘭は趙雲と同郷で、若い頃からの知り合いであったといわれる。そのため趙雲は、夏侯蘭が法律に明るいことを活かして用いるよう、劉備に進言した。以後、夏侯蘭は軍正として任用されることになった。しかし趙雲は夏侯蘭が降将であるということを考え、その後自分から夏侯蘭に近づこうとはしなかったという。
小説﹃三国志演義﹄でも、夏侯蘭は夏侯惇の副将として博望へ向かっている。諸葛亮の策にはまって夏侯惇が大敗した際、夏侯蘭は韓浩と共に糧秣を守ろうとする。しかしその途中で張飛と出くわしてしまい、夏侯蘭は数合もしないうちにその一撃を受け、馬上から突き落とされている。
参考文献[編集]