大友貞宗
大友貞宗 | |
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時代 | 鎌倉時代末期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 元弘3年/正慶2年12月3日[1](1334年1月9日) |
戒名 | 顕孝院殿直庵具簡[1] |
官位 | 従四位下、近江守、左近大夫将監[1] |
幕府 | 豊後守護 |
氏族 | 大友氏 |
父母 | 父:大友親時、母:戸次親時娘 |
兄弟 | 入田秀直、貞親、貞宗、野津師親、島津貞久室 |
子 |
貞順、貞載、立花宗匡、 即宗[2]、氏泰、氏宗、氏時[1] |
大友 貞宗︵おおとも さだむね︶は、鎌倉時代末期の武将。大友氏の6代当主。﹁貞﹂の字は鎌倉幕府の執権・北条貞時から賜ったものと思われる。