大日本警察の歌
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「内務省制定 大日本警察の歌」 | |
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コロムビア合唱団 の シングル | |
A面 | 大日本警察の歌 |
B面 | 警察行進曲(歌:中野忠晴、コロムビア合唱団) |
リリース | |
規格 | SPレコード |
ジャンル | 警察歌 |
時間 | |
レーベル | 日本コロムビア(A-236) |
作詞・作曲 |
(A面/B面とも) 作詞:北原白秋 作曲:山田耕筰 |
﹁大日本警察の歌﹂︵だいにほんけいさつのうた︶は、1935年︵昭和10年︶に制定された日本の警察歌である。作詞・北原白秋、作曲・山田耕筰。
本項では、同時に制定された﹁警察行進曲﹂︵作詞・作曲は同上︶についても解説する。
解説[編集]
日本の警察において最初の本格的な警察歌とされるのは1920年︵大正9年︶に警察講習所の提唱で制定された﹁我帽章の朝日影﹂︵作詞‥山川吉雄、作曲‥岡野貞一︶とされている[1]。この歌は警察官の在るべき姿勢を謳い上げた内容から広く愛謡されたが、大正デモクラシーの挫折を経て国家主義の色彩が強まっていた昭和初期の時勢において、警察組織を所管していた内務省では﹁我帽章の朝日影﹂に代わる新たな警察歌の制定を企図し、警保局の委嘱により北原と山田に楽曲の作成を依頼した[2]。 完成した楽曲の歌詞と楽譜は﹃警察協会雑誌﹄1935年︵昭和10年︶5月号で発表されたが、北原は同誌上で作詞の意図について次のように説明している。 此の歌の主眼とするところは、要するに警察官は陛下の警察官であり、国家の警察官であり、国民の警察官であることを警察官自身にも自覚を促し、且つ一般民衆に対しても理解を与へたい︵中略︶治安を維持して明るく親しく之に処していくことについての理解が足りないので、歌の中に其をハッキリさせたかった。それから全部として、儼乎たる日本精神に立つことを歌おうとしたのである。 — 北原白秋︵﹃警察協会雑誌﹄1935年5月号︶[2] こうした意図より新警察歌制定と併せ、国民に対して警察官の職務に親しんでもらうことを目的に﹁警察行進曲﹂が同じく北原と山田のコンビによって作られた。この2曲は日本コロムビアによってレコードへ吹き込まれ、全国警察部長会議の場で配布されたのを始め警察協会を通じて大量注文を受けることによって普及が図られた[3]。 戦後は皇国史観に基づいた歌詞が日本国憲法に掲げる民主主義の理念と相容れないものとして廃絶され、国家地方警察により改めて﹁新しき日のわれら﹂と﹁春はほのぼの﹂の2曲が制定されたが、前者に関しては引き続き山田が作曲を手掛け、北原の弟子に当たる大木惇夫が作詞している[4]。歌詞[編集]
﹁大日本警察の歌﹂は歌詞・旋律とも著作権の保護期間を満了し、パブリックドメインとなっている。
一、
輝かがやけ朝あさ光かげ 匡ただせ不ふせ正い
大おお君きみの 警けい察さつ官かん
清せい明めいいたり保たもつ治ちあ安ん
儼げん乎こたり 日にほ本んせ精いし神ん
二、
動うごかじ信しん念ねん 奮ふるへ我われ等ら
皇こう国こくの 警けい察さつ官かん
赤せき誠せい公こうに仕つかふ責せき務む
毅きぜ然んたり 敢あえて径ゆくべし
三、
湛たたへよ微ほほ笑えみ 和なごめ共ともに
国こく民みんの 警けい察さつ官かん
団だん結けつ一いちに思おもふ 福ふく祉し
温おん乎こたり 徳とくは薫かおらむ
四、
力ちからぞ訓くん練れん 進すすめ日ひ々びに
近きん代だいの警けい察さつ官かん
細さい心しん事ことに与あたふ秩ちつ序じょ
組そし織きあり 常じょ時うじ整ととのふ
五、
輝かがやけ朝あさ光かげ 勢きおへ全すべて
大おお君きみの 警けい察さつ官かん
凛りん然ぜん我われと矜ほこる規きり律つ
儼げん乎こたり 日にほ本んせ精いし神ん
参考文献[編集]
- 渡辺忠威「警察歌についての一考察」(警察大学校 編/立花書房『警察学論集』1980年9月号), pp92-107
出典[編集]
外部リンク[編集]
- 『内務省制定 大日本警察の歌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 『内務省制定 警察行進曲』 - 国立国会図書館デジタルコレクション