出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
●ボーマン夫婦は直美がキリストの証人となったという[4]。
●大垣ルーテル教会牧師斎藤幸二は、﹁神様が﹁もう十分だよ、よくやった﹂と仰せられた時に天に召されたのだと思います。﹂と語った[5]。
●最後は、母が十日間の入院生活を終えて帰宅し、久しぶりに直美と言葉をかわして夜遅く眠りについた後、何の前兆もなく、眠るように亡くなった。
●ナオミの日記には、障害者の問題点や、日々の日記、ボーマン夫人とともに出会った人々に感謝の生き方が記述してある。
●ボーマン夫婦は、アメリカに直美を連れていきたかったが体調の具合でその夢は果たせなかったが、直美は絵を描くのも上手で、コンピュータも覚えてメールを交換もし、時にはアメリカの友だちからメールも行い、ジョークも理解する。
●両親も献身的な世話をしたが、年をとるにつれ直美は自ら独立に向かい努力した。
関連書籍[編集]
●﹁ナオミの日記ー不自由と共に生きてー﹂大脇直美:著、大脇美津子:編集、北村照子:翻訳︵前田書店、2007年12月25日)ISBN 978-4-9441-2119-9
- ^ MYSPEECHFORJUNIORHIGHSCHOOLSTUDENTS.
- ^ 直美さんと英語 北村照子
- ^ 大脇直美さんの思い出 久藤総合病院院長金沢医科大学名誉教授菅井進
- ^ ナオミの日記 不自由と共に生きてー 大脇直美さんの日記ベルニダ・ボーマン
- ^ 直美さんの思い出 大垣ルーテル教会牧師斎藤幸二
関連項目[編集]
外部リンク[編集]