洗礼
概要[編集]
キリスト教における洗礼[編集]
概説[編集]
洗礼執行の方式[編集]
執行形態は主に浸礼(全身を水に浸す)・灌水礼(頭部に水を注ぐ)・滴礼(手を濡らし、頭に押し付けて水に沈める所作を真似る)の3種類である。浸礼が原初の形態であり、灌水礼も滴礼もそれを模した簡略形態であることは、それらを執行している教会でも認識されている。
全ての方式を認める教会と、浸礼のみを認める教会がある。この相違は、主に新約聖書における洗礼の記事の解釈の相違および洗礼の象徴的意義の神学的解釈に基づく、と説明される。
幼児洗礼[編集]
洗礼の相互承認[編集]
各教派の洗礼に関する見解[編集]
西方教会[編集]
カトリック教会[編集]
入信の為の第一の秘跡︵サクラメント︶が洗礼である[3]。聖公会[編集]
聖公会では、﹁洗礼によって与えられている霊の恵みは幼子にも約束されている﹂として、司祭は信徒に幼児が生まれたときは聖堂に連れてきて洗礼を受けさせることを勧める。幼児の洗礼には、教父母三人を立て、幼児が、キリスト教の信仰と生活の中で成長していくように努める。 壮年が洗礼を受けるときは、教会問答を学ぶ。また、教父母を二人以上立てる。 洗礼のとき、教父母が教名を告げ、司式者はその教名を言って洗礼を授ける。 通常は司祭が洗礼を授けるが、司祭に支障があるときには、ほかの聖職またはだれでも緊急洗礼を行うことができる。[26]プロテスタント[編集]
バプテスト教会[編集]
プロテスタントのうちバプテスト教会では、「イエス・キリストがバプテスマのヨハネに受けた方式であり、イエス・キリストの死と葬り、復活においてキリストと一つになることを象徴する一番ふさわしい形式」であるとする浸礼(全身をバプテストリー/洗礼水槽に沈める)で執り行う。原語の意味は「洗う」ではなく「浸(ひた)す」あるいは「沈める」であるため、「洗礼」と言わず「浸礼」、あるいはギリシア語の音訳である「バプテスマ」の語を用いる。バプテスマは本人の自覚に基づいたキリストへの帰依とされ、カトリックや正教会などのように、キリストより権能を授与された祭司を介した神の行為であるがゆえに無自覚な幼児に対するバプテスマも意義があるとは考えない。したがって幼児のバプテスマを認めず、本人の信仰に基づく成人のバプテスマのみを執行する。ただし、本人が信仰を自覚することができれば小学生の年齢でもバプテスマを施すことがある。他のキリスト教会からバプテスト教会に転入する際には、浸礼でないバプテスマを受けている場合、再度バプテスマを施すことがある。
洗礼を行わない教派[編集]
クエーカーや救世軍、無教会など洗礼を行わない団体も存在する。クエーカーの入会式や救世軍の入隊式は洗礼に準ずるものとして扱われ、希望すれば他のプロテスタント教派の教会で聖餐式を受けられることが多いが、無教会集会のメンバーは受洗者とみなされず、聖餐式を受けられないことも多い。