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大谷砂留

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
福山藩の砂留 > 大谷砂留
大谷第5砂留
大谷第4砂留
比較のため自転車を上に配置
渓流Bの3番目の砂留

[ 1]72023300

[]


[1][1]禿1600[1]1684[1][1][2]17381885[1][ 2]

近世の歴史[編集]

大谷砂留脇の登山道。石垣が施され、保存状態が良い部分。逆に土砂崩れで崩壊した部分も多数ある

173021773[3]32016調[3]2016調73[3]19603573[3]19613661-4[3]4[3]1995719979[3][4]

[]


20165[2][5][6]201739[5]調[5][ 3]201711[6]3[7]201840[2]201712[2]10[7]2018104110m[2][7]20183

[]


2020122021314調195[6]727調202[6] 

[]


調[7]6沿

[]

[]


158[ 4] 400m[ 5] [3][ 6] 沿19935[8][5]沿沿500m3900m41.3km51-4MTB416[3]

[]


158200m300m調[ 7]沿100m[9]500m

C[]

C
C2

158沿CC36C1C3[9]沿2213

[]


C BBB1

[]



堀町川東谷[編集]

大谷東谷の砂留群(比較的大型の7基)[3]
砂留 堤高(m) 堤長 水通しの幅 備考
1番砂留 5.49 26.3 10.1 巨石を使用
2番砂留 8.60 35.9以上 17.8 左手が崩壊
3番砂留 6.23 30.4 13.9 右手が崩壊
4番砂留 13.93 36.2 14.9 江戸期では2番目に大きな堰堤高
5番砂留(ため池) 5.98 17.3 ため池として使用された
6番砂留 8.22 27.2 27.2 6番のみ全幅が石積構造
7番砂留 5.01 24.7 11.1

大谷1番砂留[編集]


130m200m[3]2m2.4m使[5]3/4[3][3]2

大谷2番砂留[編集]

1番砂留より80mほどの標高140mほどの場所にある。岩盤上の築かれ、壁面石積み構造[3]。1番砂留よりも大規模な砂留であるが、左側の堰堤が大きく崩壊しており、下流側には崩れた岩が多数転がっている。また渓流は崩壊部分を流れている。2番砂留の下には小型トラックのタイヤが残されており、かつてここまでトラックが作業のために入っていたことが想像される。ここから3番砂留へは2番砂留の右側の斜面を登る。2番砂留を過ぎて直ぐに登山道は砂留の堰堤のような場所を渡り右手側が砂溜まりになっている場所があるが、下流側の石垣の大部分が渓流による浸食のために失われており、上流側の石垣と下流側の第3砂留側の石垣しか残されていない。

大谷3番砂留[編集]

標高180m、2番砂留より200mほどの場所にある。階段状に5段に石垣を積み上げた壁面石積み構造をしているが[3]、右側が側方からの土石流によって一部崩壊している。第3砂留にも巨石が使用されている[3]。地元の有志によって「林道大谷線」から直接3番砂留に降りれるように、斜面が開墾処理されている。3番から4番砂留への登山道は保存状態が良く道幅も広い。

大谷4番砂留[編集]


343028.9 1331613.2 / 34.508028 133.270333 / 34.508028; 133.270333 (大谷第4砂留): 343028.9 1331613.2 / 34.508028 133.270333 / 34.508028; 133.270333 (大谷第4砂留)3300m220m[3]13.45m36.2m[2][5]41010110m)4沿90590300m1.5m55U

小型の砂留[編集]

この砂留は渓流が向きを変える場所から、少し上った場所にある。高さ2m程の小規模の砂留で、大きさのそろった石を積み上げて造られており、当時の形状を保っている。「モデル治山治水大谷山観光森林公園圖」には記載されていない。また、この砂留から「ため池」までの間に、複数の崩壊した小規模の砂留(無名)が存在する。

大谷5番砂留(ため池跡)[編集]

上記の小型の砂留の奥にあり、渓谷の中に堤防を築いて円形の「ため池跡」がある。堰堤の下部は鎧積みで上部は土塁になっている。堰堤も他の砂留と異なり、アーチ式ではなく円形になっている。池の中には丸太と針金で造られた構造物が遺残しており、比較的近世まで貯水施設として使用されていたことがうかがえる。「モデル治山治水大谷山観光森林公園圖」にも記載されている。堰堤の上は通路になっている。渓流はため池の左側を流れてから2方向(左手側と上側)に分かれ、それぞれに6番、7番砂留がある。

大谷6番砂留[編集]


343018.8 1331618.2 / 34.505222 133.271722 / 34.505222; 133.271722 (大谷第6砂留) 沿57[3]280m61m620m50cm3

大谷7番砂留[編集]

標高280m。ため池の背後にある3段の石壁堰堤型形状の中規模の砂留。この奥に更に高さ1.5-2.0m程の小規模の砂留(無名)が数基存在するが堰堤の一部が崩壊している。

堀町川本谷[編集]

立石池[編集]

全周を巡る歩道が整備されている。北東側の山の斜面が土砂崩れを起こしており、倒木が池の中に佇んでいる。標高164mの高さにあり、下を流れる堀町川との標高差は20mほど。堀町川本谷の渓流は立石池の横を流れて下り増水時のみ立石池に水が流れ込むようになっており、その後堀町川に合流する。しかし、2018年(平成30年)7月の豪雨により大量の土砂が池に流入したため、2022年(令和4年)に廃池となった。北緯34度30分19.3秒 東経133度15分38.5秒 / 北緯34.505361度 東経133.260694度 / 34.505361; 133.260694 (ため池A)

1番目の砂留[編集]

渓流Bの最も下流側にある小型の砂留。昭和36年の「モデル治山治水大谷山観光森林公園圖」には記載がない。

2番目の砂留[編集]

渓流Bの下流側から数えて2番目にある中規模の砂留。右側が崩壊しており、渓流Bは崩壊部分を流れている。5段に積み上げた石壁堰堤型形状。標高184mの位置にあり、国土地理院の地図にも表記されており、昭和36年の「モデル治山治水大谷山観光森林公園圖」にも記載がある。北緯34度30分13.80秒 東経133度15分46.19秒 / 北緯34.5038333度 東経133.2628306度 / 34.5038333; 133.2628306 (2番目の砂留)

3番目の砂留[編集]

渓流Bの下流側から数えて3番目にある比較的大規模の砂留。全面被覆型。非常に保存状態が良い。標高191mの位置にあり、国土地理院の地図にも表記されており、昭和36年の「モデル治山治水大谷山観光森林公園圖」にも記載がある。北緯34度30分12.13秒 東経133度15分46.82秒 / 北緯34.5033694度 東経133.2630056度 / 34.5033694; 133.2630056 (3番目の砂留)

4番目の砂留(仮)[編集]

渓流Bの下流側から数えて4番目にある構造物。昭和36年の絵図面に記載が無く、単なる石垣の可能性もある。向かって左側が崩壊しており、渓流Bは崩壊部を流れる。なお、この砂留手前の左手斜面が、大規模な土砂崩れを起こしており、多数の倒木が積み重なっている。

砂防ダム(小)[編集]

4番目の砂留の上流の標高210mの場所で渓流Bは左右に分かれる。渓流の分枝を左側に進むとまもなく小型のコンクリート製砂防ダムが少なくとも3基連続して設けられている。ダムには「土留工」と記載されており01から番号が振られている。昭和50年代の構築で、半円形の鋼製導水管で3つの砂防ダムが接続されている。

砂防ダム(大)[編集]


500m320m1[10]60m343004.3 1331611.7 / 34.501194 133.269917 / 34.501194; 133.269917 (大型のコンクリート製砂防ダム)

[]


360-80m230-240m197954[11][11]334304.04 1331548.79 / 34.5011222 133.2635528 / 34.5011222; 133.2635528 (Y字に配置された大型のコンクリート製砂防ダム)50m

渓流C[編集]

砂防ダム(中)[編集]

渓流Cに入ってすぐにある中型のコンクリート製砂防ダム。渓流Bに設置されている3基の中型砂防ダムと同じもので、最も下流側のダムの右側に「昭和54年度 復旧治山事業渓間工事 工事番号 No2 谷止工 広島県林務部」と記載されている。下流側の2基は連続して設置されているが、2基目砂防ダムの上流側で渓流Cは左右に枝分かれし、それぞれの渓流にも各1基ずつ設置され、合計で渓流Cには4基存在する。

1番目の砂留[編集]

1基目の砂防ダムの上流の砂溜まりを登るとすぐ上流側にある小型の砂留[注釈 8]。形状は保たれている。(北緯34度30分17.3秒 東経133度15分35.7秒 / 北緯34.504806度 東経133.259917度 / 34.504806; 133.259917 (渓流C1番目の砂留)

2番目の砂留[編集]

右側の渓流の砂防ダム上流に存在するやや小型の砂留。堰堤の左側が少し崩れている[注釈 9]。この砂留の左上では、山道が旋回場のような広場になっている。広場には古いトラックのタイヤが残されており、以前はここまでトラックが登れるように山道が整備されていたことがうかがえる。

3番目の砂留[編集]

1番目の砂留と同程度の小型の砂留。形状は保たれている[注釈 10]。3番目の砂留の上流側で渓流は再び左右に分かれるが、右側の渓流には砂留は存在しない。左側へ進むと4番目の砂留がある。

4番目の砂留[編集]

左岸の山道の石垣と繋がったL字型の小型砂留。中央の越流部分が少し崩壊している。また砂留の大部分が土砂に埋没している。またこの砂留の左側上方には、立派な石垣が残されている。

堀町川[編集]

ため池跡[編集]

旧わらび荘の廃墟を過ぎて県道が左にカーブする箇所の右手側にある。堰堤の下流側は土塁となっており、中央に越流部がある。堰堤の内側には石垣が組まれている。昭和36年の「モデル治山治水大谷山観光森林公園圖」には未貯水の状態で描かれており、当時より貯水していない状態だったことが分かり、堀町川が溢れたときに一時的に貯水する目的で作られたと思われる。ため池を1周する歩道が残されている。元ため池の底だった部分には、近世に造られた井戸が残っている。北緯34度30分25.9秒 東経133度15分39.4秒 / 北緯34.507194度 東経133.260944度 / 34.507194; 133.260944

砂防ダム(中)[編集]

堀町川を更に上流に登っていくと車道が右岸から左岸に移ったのちに中規模のコンクリート製砂防ダムがある。堀町川の右手側にかつて歩道があったが、土砂崩れや川の侵食で寸断されている。その後、ため池(B)(後述)との間に形が崩れた石積砂留が1基残されている。

青笹池[編集]

県道に沿って存在し、上流側では堀町川を県道が再び左から右にクロスする。急斜面に築かれており、下流側の堤防は大規模な造りになっている北緯34度30分17.5秒 東経133度15分21.6秒 / 北緯34.504861度 東経133.256000度 / 34.504861; 133.256000。「モデル治山治水大谷山観光森林公園圖」では周囲に小型の砂留が数多く記載されているが、2018年現在では、近世に造られたコンクリート製砂防ダムが数基残っているのみで、石積みの砂留は現存していない。

大谷池について[編集]


14.5m9100[12]112m西158[ 11] [ 12] [ 13] 2016調A-B-C3C5[13][13][ 14]500.5-1m2-3m[14]

林道大谷線について[編集]


158沿[15][16][17][18]1951-195227-28280cm[19]200m[ 15]3-4-52017-20184106615720183

周辺[編集]

第三本郷砂留
広島県道158号線
廃墟となった本郷温泉の旅館群

158158[ 16]50B[20][20][20][ 17][20]12[21]2017[21]133[ 18][20] 17877[1][22][23][23][24]338m8m4[23]342921.9 1331434.7 / 34.489417 133.242972 / 34.489417; 133.242972 (本郷第3砂留)

注釈[編集]



(一)^ 

(二)^ 23(

(三)^ 

(四)^ 

(五)^ 

(六)^ (

(七)^ 

(八)^ 

(九)^ 

(十)^ 

(11)^ 殿

(12)^ 

(13)^ 1km7-9

(14)^ 2018325

(15)^ 343039.7 1331557.1 / 34.511028 133.265861 / 34.511028; 133.265861 (廃道となった林道広場)西900m

(16)^ 2018

(17)^ 63

(18)^ 3

参考文献[編集]

  • 弘徳協会、1965年11月、『松永市本郷町誌』初版、臨川書店 ISBN 978-4653016250

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 高梨和行, 花房秀俊、「広島県旧福山藩の石積砂防堰堤 (砂留) ならびに周辺環境整備方針」『砂防学会誌』 1995年 48巻 4号 p.25-32, doi:10.11475/sabo1973.48.4_25, 砂防学会, 2018年2月25日閲覧
  2. ^ a b c d e f 「砂留」を福山観光の目玉に 山陽新聞2018年03月22日20時12分
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 樋口輝久, 秋田哲志, 篠原智 広島県福山市における歴史的砂防施設“大谷砂留”の実態と地域住民による整備活動 砂防学会 2018年 平成30年度砂防学会研究発表会概要集
  4. ^ 福山藩砂留案内 広島県 土砂災害ポータル広島 広島県砂防課 2018年2月25日閲覧
  5. ^ a b c d e f 江戸期「砂留」福山に7基存在 住民ら確認、砂防事業の手掛かり 山陽新聞 2017年03月02日 08時02分 更新 社会-15版 28頁 『山陽新聞』朝刊 写有 (全850字)2018年2月25日閲覧[リンク切れ]
  6. ^ a b c d 江戸期の砂留、新たに195基 福山藩の砂防事業伝える土木遺産 中国新聞デジタル 地域ニュース 2021年4月7日
  7. ^ a b c d 「砂留」発見 学びの場に 福山・有磨学区 住民散策道整備へ 『山陽新聞』 2017年12月04日 朝刊 福山 尾三 (全506字)
  8. ^ 道中右手側に施工記念の標識が残されている
  9. ^ a b 国土地理院の地図にもこの砂防ダムの位置は記載されている
  10. ^ google-MAPおよび国土地理院の地図で見ることができる
  11. ^ a b 3基のうち下流側のダムの向かって左手側に記念プレートが嵌め込まれている
  12. ^ ため池耐震診断に係る浸水想定区域図について 広島県 農林水産局 農業基盤課 掲載日2015年2月25日更新 2018年3月1日閲覧
  13. ^ a b ため池7割 耐震に課題 広島県、工事や水位調節へ 『中国新聞』 2016年07月29日 朝刊 中国総合 (全935字)
  14. ^ 大谷池(芦田) 浸水想定区域図 広島県 農林水産局 農業基盤課 掲載日2015年2月25日更新 2018年3月1日閲覧
  15. ^ 林道大谷線 平成30年の土砂崩れ補修
  16. ^ 林道大谷線 平成30年の土砂崩れ補修の設計書
  17. ^ 林道大谷線崩土取除工事(2工区)(単独)
  18. ^ 林道大谷線崩土取除工事(2工区)(単独)実施計画書
  19. ^ 本郷町誌 1965, p. 744.
  20. ^ a b c d e 本郷学区 まちづくり計画~いつまでも 安心して暮らせる 本郷町をめざして~ 2016年 ( 平成28年 )3月 本郷学区まちづくり推進委員会 2018年3月30日閲覧
  21. ^ a b 本郷温泉峡に再び活気を 60年代旅館12軒→今月事実上ゼロに 福山 住民ら名物の桜並木守る 中国新聞 2016年01月30日 朝刊 福山 (全861字)
  22. ^ p86 俄来越への道 「ふくやま歴史散歩」 福山市
  23. ^ a b c 本郷町誌 1965, p. 748.
  24. ^ 本郷町観光探勝案内「三番砂止め」 平成6年3月 本郷町教育後援会 2018年3月31日閲覧

関連項目[編集]