奉天社
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奉天社︵ほうてんしゃ︶は、明治時代前半期に秋田県で結成された士族授産結社。
秋田県令・石田英吉や旧藩主・佐竹義堯の援助で[1]小野崎堅治[1]、白土清忠[2]らの旧秋田藩士が1883年︵明治16年︶5月に結成した[1]。結成当初は就産社と称したが、白土が知遇を得ていた[3]有栖川宮熾仁親王から﹁奉天﹂の社号を下賜され、奉天社と改称した[4]。
尊皇愛国の情を強固にし、邦家のために実利を起こして各自の生計を立てることを目的とし、活字印刷、新聞発行および養蚕機業を主たる業とした[1]。結成の年の7月11日には﹁秋田日日新聞﹂の第1号を発行している[5]。1884年︵明治17年︶時点で275人の社員が在籍していた[1]。
就産事業に加えて政治活動も行っており[1][註釈 1]、1889年︵明治22年︶に結党された秋田中正党の母胎ともなった[1][6]。