奥村則友
奥村 則友︵おくむら のりとも、天保13年1月23日︵1842年3月4日︶ - 明治20年︵1887年︶10月9日︶は、幕末の加賀藩士。加賀八家奥村分家第15代当主。
父は加賀藩年寄奥村惇叙。母は横山隆盛の娘。子は奥村則英の妻・峯。養子は奥村則英。初名外與吉。別名他見男。家紋は﹁丸ノ内九枚笹﹂。
生涯[編集]
天保13年︵1842年︶1月23日、加賀藩年寄奥村惇叙の三男として生まれる。明治2年︵1869年︶、奥村分家第14代を相続していた甥奥村篤輝の死去により、家督と知行1万2000石を相続する。 明治20年︵1887年︶10月9日死去。享年47。家督は婿養子の則英が相続し、明治33年︵1900年︶に父則友の明治維新への功績により、従五位下、男爵に叙され華族となる。参考文献[編集]
- 『加能郷土辞彙』