婉貴妃 (乾隆帝)
婉貴妃︵えんきひ、満洲語: ᠨᡝᠮᡤᡳᠶᡝᠨ
ᡤᡠᡳᡶᡝᡳ、転写‥nemgiyen guifei、康熙55年12月20日︵1717年2月1日︶ - 嘉慶12年2月2日︵1807年3月10日︶︶は、清の乾隆帝の側室。漢人の出身。姓は陳氏。陳廷璋の娘。
婉貴妃陳氏
康熙55年12月20日︵西暦1717年2月1日︶に生まれた。はじめ、宝親王の弘暦︵のちの乾隆帝︶の府邸に入り、側女となった。
乾隆帝の即位後、常在︵身分低い妃嬪︶となった。乾隆12年︵1747年︶、貴人に進んだ。乾隆14年︵1749年︶、﹁婉嬪﹂に封ぜられた。45年後、乾隆帝は息子の永琰︵嘉慶帝︶に譲位し太上皇となったので、婉嬪も婉妃に尊封された。
嘉慶6年︵1801年︶、婉貴太妃に尊封された。年功序列のため太妃たちの筆頭となり、寿康宮の主位となった。数え92歳で薨去した。
生涯[編集]
伝記資料[編集]
- 『清史稿』
- 『晋封婉嬪陳氏婉妃冊文』
- 『尊封婉妃陳氏皇考婉貴妃冊文』