孫思邈
孫 思邈︵そん しばく、? - 682年︶は、中国唐代の医者・道士。生年は541年、581年とも。中国ないし世界史上有名な医学者・薬物学者、薬王とも称される。
概要[編集]
京兆郡華原県︵現在の陝西省銅川市耀州区︶の出身。﹃新唐書﹄によると、彼は7歳で学業を始め、日に暗誦すること1千字あまり、百家学説に通じていたという。老荘思想・推歩・数術に通じており、その一方で仏典にも精通していた。彼は小さい頃から多病で、周りの百姓はみな貧しく、多くの人が病気を治すお金がなく死んでいった。そのような周囲の影響により18歳の頃から医学を志すようになり、一生涯勤勉に研究実践を続けていった。 数次にわたり、皇帝に召されるも、全て固辞し、山中に隠遁して著作に専心したという。医学書・仏道二教にわたる著作をなしたが、主著としては、﹃備急千金要方﹄︵略称﹃千金要方﹄︶30巻、﹃千金翼方﹄30巻の両大著が知られる。 ﹃千金要方﹄はすでに近代臨床医学の分類方法をとっており、中国史上最初の臨床医学百科全集とも言われる。﹃千金翼方﹄は﹃千金要方﹄の補完版であり、682年に完成した。 神仙家としても知られており、後世の道教徒たちは、仙人として尊崇した。薬上真人と尊称され、医神として薬王廟に祀られる。 孫思邈が住んでいた草庵﹁屠蘇庵﹂で、元旦に飲む屠蘇酒をふるまい定着したとされる[1]。著作[編集]
脚注[編集]
- ^ 生薬ものしり事典【2018年1月号】1年の邪気を払う「屠蘇」 出典:牧幸男『植物楽趣』 サイト:養命酒製造株式会社