安藤林左衛門
安藤 林左衛門︵あんどう りんざえもん、1867年12月19日︵文久2年10月28日︶[1] - 1932年︵昭和7年︶12月25日[2]︶は、日本の政治家。宮城県富谷村長︵5期︶。
来歴[編集]
陸奥国黒川郡明石村︵のち陸前国黒川郡明石村→宮城県黒川郡明石村→富谷村→富谷町、現・富谷市︶出身[1]。黒川郡西成田村︵のち黒川郡富谷村→富谷町、現・富谷市︶の安藤家の養嗣子となる[1]。地押総代を経て、1889年︵明治22年︶町村制が施行され、富谷村が発足すると村会議員に選ばれた[1]。1898年︵明治31年︶富谷村長に就任した[1][3]。一回目の村長は1914年︵大正3年︶まで務め、この間、黒川郡会議員、信用組合長、耕地整理組合長を務めた[2]。村長退任後は再び郡会議員、同参事員、耕地整理組合長、学務委員、農会総代議員、同評議員を務めた[2]。 1927年︵昭和2年︶に再任[3]、同年村農会総代議員、村農会長[2]、二回目の村長は1929年︵昭和4年︶まで務めた[3]。 1932年︵昭和7年︶に死去した[2]。脚注[編集]
参考文献[編集]
- 富谷町誌編纂委員会編『富谷町誌』富谷町役場、1965年。
- 宮城県町村会編『宮城県町村会七十年史』宮城県町村会、1992年。