実存は本質に先立つ
﹁実存は本質に先立つ﹂︵じつぞんはほんしつにさきだつ、仏: l'existence précède l'essence︶とは、哲学において﹁存在には本質がない﹂、とする考え方、観念、ものごとの捉え方を現した言葉。フランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルが自身の講演﹁実存主義はヒューマニズムであるか﹂︵1945年︶において最初にこの概念が提起され[1]、実存主義における基礎的な観念・概念となっている。サルトルの妻(婚姻はしていない)シモーヌ・ド・ボーヴォワールはこの考えを基に、﹁人は女に生まれるのではない、女になるのだ﹂という言葉を残した。
概要[編集]
人間性を例にすると﹁人間性というものは存在するかもしれないが、その存在は初めには何をも意味するものではない﹂、つまり存在、本質の価値および意味は当初にはなく、後に作られたのだとこの考え方では主張される。 このように、この考えはキリスト教などの、﹁社会における人間には本質︵魂︶があり、生まれてきた意味を持つ﹂という古来からの宗教的な信念を真っ向から否定するもので、無神論の概念の一つにもなっている。脚注[編集]
- ^ ペーテル・エクベリ『おおきく考えよう 人生に役立つ哲学入門』晶文社、2017年、69頁。ISBN 978-4-7949-6975-0。