宮内嘉雄
宮内 嘉雄︵みやうち よしお、1826年︵文政9年︶ - 1900年︵明治33年︶12月1日︶は、幕末から明治時代の国学者であり教育者 [1]。号は君浦。﹃銚子市史﹄によると嘉確とも。本姓は吉川。字は大節、幼名は確。通称は主水。
経歴[編集]
常陸国︵現在の茨城県︶の生まれ。漢学者の宮本水雲に弟子入り後、平田篤胤の門人である宮内嘉長に婿入り、千葉県銚子市で守学塾を再興した。﹃古事記伝抄﹄﹃神代三字史﹄などの著作がある[2]。国語学者の松井簡治は君浦の次男[3]。参考文献[編集]
- 『評伝赤松宗旦 『利根川図志』ができるまで』(2010年、彩流社)
- 『河川水運の文化史』(1993年、雄山閣)
- 『香取群書集成第5巻』(1988年、香取神宮社務所)