宮本武文
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読売ジャイアンツ育成選手時代(2012年) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 和歌山県和歌山市 |
生年月日 | 1990年8月11日(33歳) |
身長 体重 |
183 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト2位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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宮本 武文︵みやもと たけふみ、1990年8月11日 - ︶は、和歌山県和歌山市出身の元プロ野球選手︵投手、左投左打︶。
来歴[編集]
小学2年の時に大新白鳩少年野球クラブで右翼手として野球を始め、小学5年の時に投手に転向。城東中時代は和歌山シニアに所属。エースとして二度の全国大会出場を果たし、世界大会の代表にも選出される。 倉敷高に進学後は、1年春から公式戦に出場し、1学年先輩の津田大樹が引退した後を受け、2年秋からエースとして活躍。3年春はベスト4、3年夏も岡山県予選準決勝まで進むも、優勝した倉敷商業高に敗れ甲子園出場は果たせなかった。 2008年10月30日に開かれた、プロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから2位指名を受け、同年11月18日に契約金6000万、年俸600万︵金額は推定︶で仮契約を結んだ。 2009年は二軍︵イースタン・リーグ︶で7試合に登板し防御率7.50を記録[1]。2010年シーズンは二軍の試合にも1試合も登板できず、11月4日に自由契約となり、同月10日に育成選手として再契約された。 2011年6月7日の対横浜ベイスターズの二軍公式戦︵読売ジャイアンツ球場︶で先発登板し、5回を無失点で抑え初勝利を挙げた[2]。この年は二軍で9試合に登板し1勝1敗、防御率5.06を記録したが[3]、再度の支配下登録は果たせず、2012年はまたも1試合も登板できないシーズンとなり、10月2日、球団から来季の契約を結ばないことが発表された[4]。結局、一度も一軍の試合に登板できないまま現役を引退した。 2019年8月31日、同期入団の笠原将生のYouTubeチャンネルにゲスト出演し、久し振りに公の場に姿を見せた。出演した動画内では、巨人との仮契約時に6000万円と報じられていた契約金が実際には7500万円だったことを暴露している[5]。9月14日にもゲスト出演した動画が公開され、引退後は地元の和歌山県の一般企業で勤務していたが後に退職し、その後は和歌山市内で﹁NEXT GROUP﹂という飲食店を4店舗展開していることを明かした。選手としての特徴・人物[編集]
最速146km/hのストレートに、スクリュー・スライダー・カーブ等を投げ分ける大型左腕[要出典]。詳細情報[編集]
年度別投手成績[編集]
- 一軍公式戦出場なし
背番号[編集]
- 65 (2009年 - 2010年)
- 012 (2011年 - 2012年)
脚注[編集]
(一)^ “2009年度 読売ジャイアンツ 個人投手成績︵イースタン・リーグ︶”. NPB.jp. 日本野球機構. 2019年9月11日閲覧。
(二)^ “2011年6月7日 ︻ファーム︼ 試合結果 ︵読売vs横浜︶”. NPB.jp. 日本野球機構. 2019年9月11日閲覧。
(三)^ “2009年度 読売ジャイアンツ 個人投手成績︵イースタン・リーグ︶”. NPB.jp. 日本野球機構. 2019年9月11日閲覧。
(四)^ “朝井投手ら10選手に戦力外通告”. 読売ジャイアンツ公式ホームページ. (2012年10月2日) 2012年10月2日閲覧。
(五)^ ︻新企画・盃しよーよ︼第1回目のゲストは笠原と同期入団の元◯人選手!!(前半戦) - YouTube