宮田節子
宮田節子︵みやた せつこ、1935年 - 2023年9月27日︶は、日本の歴史学者。専門は朝鮮史。元早稲田大学講師。学習院大学客員研究員。本名は大西節子︵おおにし せつこ︶。
来歴[編集]
千葉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。明治大学大学院文学研究科博士課程修了。 1959年の朝鮮史研究会の創設に関わる。のちに会長。2011年に韓国日本学会の学術賞受賞[1]。 2023年9月27日、老衰で死去。87歳没。葬儀は10月4日に行った[1]。人物[編集]
●日本の朝鮮植民地を批判する立場で、自由主義史観研究会批判、新しい歴史教科書をつくる会批判[2]、日韓併合の不当を主張する﹁2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する﹂[3] などのアピールや声明に名を連ねてきた。 ●平凡社刊﹃朝鮮を知る事典﹄︵1986年版︶の﹁1943年からは女子挺身隊の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた﹂という記述は、千田夏光﹃従軍慰安婦﹄を読んで、宮田が執筆したという︵﹃朝日新聞﹄2014年8月5日の検証記事[4]︶。これを﹃朝日新聞﹄の記者が引用して朝日新聞の慰安婦報道問題に発展したという[5][6]。これについて下川正晴は、﹁慰安婦=挺身隊﹂を混同する学者の失態だとして、﹁開いた口が塞がらない。﹂﹁日本の朝鮮史研究の水準が分かろうというものだ。新聞記者だけでなく、歴史研究者までもが、韓国人の無責任な言い分に引きづられたのである。日本のコリア研究に特有な贖罪史観のなせる技だと言うしかない。﹂と批判している[5][6]。 ●1965年に日本朝鮮研究所から﹃日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論﹄という共著書を刊行しており、下川正晴は、日本人の﹁コリア誤解﹂の深淵であり、共著者の安藤彦太郎、寺尾五郎、宮田節子、吉岡吉典を﹁今や知る人も少なくなった面々﹂と評している。ちなみに、﹁日朝中﹂で﹁韓国﹂がないのは、﹁日韓会談粉砕のために﹂という副題がついており、日韓基本条約に反対しているからだという[7]。著書[編集]
●﹃朝鮮近代史の手引﹄︵日本朝鮮研究所、1966年︶ ●﹃朝鮮民衆と皇民化政策﹄︵未来社、1985年︶ISBN 978-4326000357 ●﹃創氏改名﹄︵明石書店、1992年︶ISBN 978-4750304069 ●﹃歴史と真実―いま日本の歴史を考える﹄︵筑摩書房、1997年︶ISBN 978-4480857552 ●﹃友邦文庫目録﹄︵勁草書房、2011年︶ISBN 978-4326000357脚注[編集]
(一)^ ab“宮田節子さん死去 朝鮮近代史、日本の植民地支配を研究”. 朝日新聞デジタル. (2023年10月5日) 2023年10月5日閲覧。
(二)^ ﹁教科書に真実と自由を﹂連絡会﹃徹底批判﹃国民の歴史﹄﹄大月書店、2000年5月。ISBN 978-4272520619。
(三)^ 2015年日韓歴史問題に関して日本の知識人は声明する
(四)^ “﹁挺身隊﹂との混同 当時は研究が乏しく同一視”. 朝日新聞デジタル (2014年8月5日). 2023年10月7日閲覧。
(五)^ ab“いまさら、梶村秀樹でもないだろうにね!!︵笑︶”. 下川正晴コリア研究室 2016年11月1日閲覧。[信頼性要検証]
(六)^ ab“⑪﹁民族神話﹂になった﹁慰安婦=挺身隊﹂の混同”. 下川正晴コリア研究室 2016年11月1日閲覧。[信頼性要検証]
(七)^ “古色蒼然たる﹁日・朝・中三国人民連帯の歴史と理論﹂︵笑︶”. 下川正晴コリア研究室 2016年11月1日閲覧。[信頼性要検証]