宮部春蔵
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宮部 春蔵︵みやべ はるぞう/しゅんぞう、天保10年︵1839年︶ - 元治元年7月21日︵1864年8月22日︶︶は、幕末の熊本藩士、尊皇攘夷派の活動家。宮部鼎蔵の弟。名は増正、通称大助。
略伝[編集]
肥後国益城郡田代村︵現・熊本県上益城郡御船町︶に生まれる。文久2年︵1862年︶、脱藩して長州へ行く。三条実美に仕える。元治元年6月5日︵1864年7月8日︶の池田屋事件で兄は殺害されるが、春蔵は長州藩邸へ逃げ込んで難を逃れた。 同年7月19日︵1864年8月20日︶、禁門の変に長州藩軍として参加し敗走、真木保臣らと共に天王山の小屋に立て籠もり、皆で火薬に火をつけて爆死した。享年26[1]。︵天王山籠城戦︶ 明治35年︵1902年︶、正五位を追贈された[2]。脚注[編集]
- ^ “宮部春蔵(kotobank)”. 2014年8月24日閲覧。
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.17