富盛のシーサー
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富盛のシーサー︵ともりのシーサー︶は沖縄県島尻郡八重瀬町富盛︵勢理城︶にある石獅子︵シーサー︶。記録のある中で沖縄県内で最も古いものである。﹁富盛の石彫大獅子﹂、または所在地から﹁勢理城の石彫大獅子﹂ともいう。
座標: 北緯26度8分1.2秒 東経127度43分26.9秒 / 北緯26.133667度 東経127.724139度
概要[編集]
八重瀬町字富盛の西の勢理城上方にある。﹃球陽﹄の記録に尚貞21年︵1689年︶に設置されたとある。製作者不明。 高さ142.2cm、全長175.8cm。沖縄県村獅子として最古最大の石獅子である。沖縄県指定有形民俗文化財に指定されている。製作目的[編集]
製作年頃に富盛地区で火災が多かったので風水師︵久米村の蔡応端(太田親雲上)︶に相談した︵占ってもらった︶ところ、﹁火山︵ヒーザン︶﹂といわれる八重瀬岳に向かってシーサーを作るとよいと助言され火除け︵火返し︶の目的で作られた。有形民俗文化財への指定[編集]
富盛出身の郷土史家、源武雄︵当時、県教育庁文化財保護委員会会長︶の申請によって、1974年︵昭和49年︶12月2日に指定された。富盛のシーサーの凄み[編集]
地域住民にとっては地域の守り神のような存在である。旧暦10月1日のカママーイ︵竈のお願い・防火儀礼︶の行事ではノロを先頭に役目が大獅子像を拝む。戦前までは、役目は約180cmの竹を束ねて巡り﹁サリーサリーユーカンヒーマーチウミチミラショーリ﹂と呼び掛け、台所の整理の行き届かぬ家庭の主婦は竹で尻を叩かれる。旧暦9月9日のタントゥイ棒のときに、地域の青年達が勢理城に集まり棒踊りを奉納していた。沖縄戦の時[編集]
1945年︵昭和20年︶の6月ごろ、日本軍は富盛の八重瀬岳付近に陣地を構え、周辺は激しい地上戦の最前線となり、米軍に弾除けなどとして使用され、現在もその時の弾痕を残している。参考文献[編集]
- 『沖縄大百科(中巻)』沖縄タイムス社
- 知念善栄『東風平村史』東風平村
- 富盛字誌編集委員会『富盛字史 東風平町字富盛』富盛
関連項目[編集]
外部サイト[編集]
- やえせ観光サイト(2017年6月14日閲覧)
- 富盛の石彫大獅子(八重瀬町)戦跡と証言 沖縄戦70年語り継ぐ未来へ - NHK沖縄放送局(2017年7月12日閲覧)