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小川 信雄︵おがわ のぶお、1905年︵明治38年︶8月7日 - 1993年︵平成5年︶11月19日[1]︶は、日本の弁護士。最高裁判所判事。山口県出身。
1929年︵昭和4年︶に東京帝国大学法学部を卒業。北海道電燈の旭川支社に入社したが、3ヶ月で退社。﹁文化が進むにつれて専門技術を身につけるのが大切﹂と考え、1932年︵昭和7年︶に弁護士登録をした。
企業の法律相談を手がけ、二十数社の顧問弁護士をした。刑事事件については鮎川金次郎派の選挙違反事件を扱った。
1946年︵昭和21年︶に村上義一運輸大臣の秘書官をしたことがある。
1970年︵昭和45年︶12月22日に最高裁判所判事に就任。就任時に﹁最高裁長官の意見に対しても、他の判事からどしどし意見が出され、実にいいと思った。弁護士生活40年の経験を生かし、国民が納得できるものにしたい﹂と語る。
1975年︵昭和50年︶8月に定年退官。再び弁護士登録をし、倒産した興人と連鎖的に経営が行き詰った興人化成、コーデラン工業の保全管理人に東京地裁から選任された。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、282頁。